0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『ファイナル・デッドサーキット』




デヴィッド・R・エリス『ファイナル・デッドサーキット』再見、

ボビー・カンポは、ガールフレンドのシャンテル・ヴァンサンテンや友人たちと来ていたサーキット場で、レーシングカーがクラッシュして炎上し、サーキット場が大惨事になり、観客が死にまくる予知夢を不意に見てしまう。

そのことを半信半疑の周りにいた人々に話してサーキットを離れたので、なんとか難を逃れたが、逃げおうせた人々に次々と死の運命が襲いかかり、皆死んでいく。

カンポは先回りして、なんとかその死を食い止めようとするのだが。




『ファイナル・デスティネーション』シリーズの4作目。

第2作『デッドコースター』の故デヴィッド・R・エリスが監督したアクションホラー映画。


テンポのいい展開で描かれているので、飽きさせない映画ではある。

なんとかサーキット場での災難からは、ボビーの予知夢のおかげで逃れたものの、その後に迫り来る死の運命からは逃れられず、人々がどんどん偶発的に殺戮されていく、その殺戮の連鎖が展開のメインである。

賛否両論だが、小ネタ満載のホラーコメディとして見れば、アラは多少あっても隙のない展開の面白さで見ていられる映画である。

殺戮場面はホラースプラッタであると同時にホラーコントだし、そのぐらい肩の力が抜けた作りになっている。

すでに4作目だし、このぐらい軽妙な展開で別にいいと思う。

これは「トムとジェリー」のホラー・スプラッタコントバージョンだし、サーキット場で災難から逃れた人々が殺されていくスプラッタ描写は、ジェリーを追いかけるトムが巻き込まれる惨事の数々とかなり似ている。

それに日常に溢れているモノの、ちょっとした不備が、徐々に惨事や殺戮に繋がるという描写は、昔ヒッチコックが得意とした描写であり、それを深刻なスリラーにせず、テンポのいい「トムとジェリー」的コントな、ホラースプラッタに軽妙に仕立てたところには中々芸があると思う。

ハリウッドのシャレだらけの映画であり、そのシャレがバカバカしくも面白く、ところどころスプラッタらしくグロければ、それでいい映画だと思う。

そんな中々楽しめる一篇。 2018/01/30(火) 00:48:17 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

追悼 夏木陽介




先日、夏木陽介氏が亡くなった。

やはり車好きが有名な人だったし、武勇伝多しの、かなり豪快な漢の人生を送られた方だなという印象が強い。

東宝時代の、若い頃のコメディ「おいろけコミック 不思議な仲間」でもレイシングドライバーをクビになった車好きの役だった。

21世紀になってからも、前に評を書いた「湾岸フルスロットル」シリーズに出演していたが、やはり、これも前にここで評を書いた、意外な秀作「湾岸最速バトル<スカイライン伝説>」での、伝説のチューナー役は、実にリアリティのあるハマり役で、素晴らしい名演だった。

この作品は夏木氏の後年の代表作だと思う。

その他「宇宙大怪獣ドゴラ」や「用心棒」、「暗黒街」シリーズ他の岡本喜八映画、TVで評判の教師役を演じたドラマの映画版に見える「でっかい太陽」でのクールな好演、「吼えろ脱獄囚」、「女ばかりの夜」や、「大脱獄」での渋い好演などが特に良かった。

またTV「Gメン'75」の小田切警視役、「青春とはなんだ」の教師役、「明智探偵事務所」の明智小五郎役なども良かった。

特に明智小五郎役のジェントルマンぶりは実に決まっていて、「明智探偵事務所」における、明智=夏木陽介、怪人二十面相=米倉斉加年というキャスティングは、今だベストキャスティングだと思っている。(撮影現場は大揉めだったらしいが)

男っぽさと涼しげな爽やかさが融合した名優だった。

夏木陽介さん、ご冥福をお祈り致します。





2018/01/27(土) 00:06:35 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)

『覇王~凶血の連鎖~Ⅳ』




小沢和義『覇王~凶血の連鎖~Ⅳ』、

内藤新宿一家は世襲制組織で、血統者だけが一家の長を継げる組だった。

舎弟頭補佐の山口祥行は、血縁者の少年、落合晴音を13代目として推し、組を立て直そうとするが、ムショから出てきた内藤新宿一家元舎弟の冨家規政が様々な謀略を巡らせる。

そこに12代目として立つはずだった小沢和義が絡む。

結局内藤新宿一家は、落合を13代目として推す山口一派と、小沢を立たせて歴史を変えんとする井田國彦一派、そして冨家の一派による三つ巴の抗争となっていく。

そこに大阪の大組織の会長・宇梶剛士が絡む。





俳優小沢和義が監督したシリーズ作。

兄の小沢仁志も監督として、これまでかなり力作を撮ってきたが、小沢和義も随分前に撮った初監督作「DOG TAG」がちょっとした佳作だったし、兄弟揃って監督としての才気も中々である。

このシリーズ作も、通常の極道映画とは一味違う設定や展開を迎える作品で、少年が跡目を継ぐ組織で戦う山口祥行や本宮泰風らが描かれている。

小沢和義は闇に葬られた殺し屋のような跡目候補の役で、岩佐真悠子の女殺し屋と暮らす、哀愁と謎に満ちた役どころを演じているが、これがかなり個性の強い半分悪役的なキャラで、山口とのガチンコ対決シーンにもアイデアがあり、中々悪くない。

血統者の跡継ぎの少年、落合が、敵対組織に裏切られた敵の北代高士のために泣いてやるシーンから、北代が落合の下に付く展開にも必然性が感じられる。

また単なるベタな悪役に見えた冨家規政が、悪党は悪党でも、絶えず命を張った筋者の悪党であることが発覚していく展開やキャラ造形も中々いい。

抗争が錯綜するので、途中多少ややこしいところもあるが、要所、要所に出てくる人物が、善玉も悪役も皆個性的にキャラ立ちしているので、空中分解することはない。

小沢和義他役者陣も、皆好演しているし、中々飽きさせずに見せる一篇。 2018/01/23(火) 02:02:02 その他 トラックバック:0 コメント(-)

『バルタザールどこへ行く』




ロベール・ブレッソン『バルタザールどこへ行く』再見、

農場の息子と教師の娘は、一匹の生まれたばかりのロバを拾い、バルタザールと名付ける。

10年後、牧場をやっている父と、成長した娘のアンヌ・ヴィアゼムスキーのところに、バルタザールが逃げて来る。

再会を喜んだアンヌはバルタザールに夢中になるが、パン屋の息子のフランソワ・ラフアルジュはロバに嫉妬し、彼の不良グループが何かとバルタザールをいじめる。

その頃、アンヌの父と牧場王の間に訴訟が起き、10年ぶりに農場の息子で成長したヴァルテル・グレーンが帰って来るが、アンヌは彼に興味がなく、訴訟がゴタついた結果、バルタザールはフランソワの家へ渡される。

その後、アンヌはフランソワと付き合いだし、不良仲間に入って、バルタザールのことを忘れてしまう。

裁判はアンヌの父が敗訴したものの、ヴァルテルは善処を約束し、アンヌに求婚するが。




ロベール・ブレッソンの傑作。

奴隷のような扱いを受けるバルタザール=ロバの無垢な視点を通して描かれているので、人間のロクでもない本性が丸裸になって視覚化されてしまう映画である。

ヒロインに見えるアンヌ・ヴィゼアムスキーすら、人間のどうしようもなさを露呈させているし、フランソワ・ラフアルジュに至っては、犯罪映画ならたかがしれたショボいチンピラでしかないが、ロバの無垢な視点を通すと、そんなショボいチンピラが、いかに人間のクズのクソゴミ野郎でしかないかを、これでもかとばかりに如実に視覚化されている。

つまり巨悪というわけではない、人間の欲と倫理の間で葛藤したり、ショボいチンピラという、わりと普通の人間に近い存在すら、人間はみんな腐り切っているということや、悲惨な目に遭う善玉すらバルタザールのことなど実は歯牙にもかけていないという非情さが、有無を言わさぬほど徹底的に視覚化されており、そういう意味では究極のパンク映画である。

まあバルタザールに近い視線の持ち主は、せいぜいヴァルテル・グレーンだろうか。

彼は子供の頃、バルタザールを拾った時のままに近い視線の持ち主であり、それ故に、そこから離れて行くアンヌの悲しいまでのどうしようもなさが露呈してしまうのである。(そのヴァルテルとて、アンヌを手に入れたいことと、裁判に敗訴したアンヌの父への善処を、交換条件にしているところがあるが)

全編にわたり、「ラルジャン」や「抵抗」だけでなく、この映画もやはりブレッソン的な「手」の映画であり、絶えず描かれる、この「手」の触覚的な運動が生々しい映画触覚性を絶えず喚起し、映画自体も、どこもかしこも「映画そのもの」の画面の連続のような作品になっている。

また同時に、ブレッソン的な強烈な視線劇も生々しく描かれているが、特に圧巻なのは、バルタザールが他の動物と視線を交わす場面だ。

バルタザールは、人間共に奴隷扱いを受け、愛するアンヌにまで忘れられているのに、同じ動物たちすらまるで仲間ではなく、ただ咆哮を浴びせられ、冷酷な視線を向けられるだけという、苛酷な孤独さがここで浮き彫りになり、そこにバルタザールが生きる世界の冷酷と非情が如実に出ている。

ラストも、犯罪にバルタザールを無理矢理利用したフランソワのゴミ共は逃げ去り、彼らに向けて放たれた銃弾が、置き去りにされたバルタザールに当たり、そこからバルタザールが徐々に死んで行く姿を、まるで動物の自然死の生態のように撮っていて、こんなラストにもブレッソン的な徹底性が感じられる。

50年以上も前に作られた映画だが、未だに強烈な凄みを発している、途方もない大傑作な一篇。 2018/01/20(土) 09:59:08 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『レイジング・コップス』




ジョルジオ・セラフィーニ『レイジング・コップス』、

ロサンゼルスにて、ストリップバーを経営する麻薬密売人のダニエル・ボンジュールは、良家の女子大生と結婚して足を洗おうと決め、その前に仲買人を殺し、麻薬のボスと直接取引をしようとする。

しかし組織のボス、ヴィニー・ジョーンズはそれに気づき、短期間で麻薬を捌くよう命令するが、そのためのルートはちゃんと確保されていた。

その頃、麻薬取締局の捜査官ドルフ・ラングレンは密売人をやっている刑事を追いつつ、事件の捜査を始めるが、ラングレンと恋人関係にある女刑事カーリー・ポープが潜入捜査官となり、心配する。



ドルフ・ラングレンが製作、主演の映画。

そのわりにはラングレンはらしくなく、見せ場的なアクションシーンや格闘場面もあまりなくて、ほとんど悪役の売人ダニエル・ボンジュール主演の腰の座らないノワールサスペンス映画の脇役みたいな感じである。

そういうところは、一応青山恭二主演なのに、悪党役の内田良平ばかりが目立っていた、かっての日活の『機動捜査班』シリーズみたいである。

ラングレンは何故か衣装が軽めなトレーナーなのだが、ラングレンにトレーナー姿はあんまり似合わない。(オッサンの部屋着に見える)

だいたいボンジュールは、足を洗って、別世界に住んでるような良家の女子大生と結婚したいなら、さっさとそうすればいいのに、何でよりによってチンケな密売人が、今までやったこともないような大博打を、他の売人まで殺して行うのか、どんだけボンジュールのナレーション解説が入ろうが、要領を得ないし矛盾だらけである。

ヴィニー・ジョーンズがヤバイボスかと思ったら、結局ボンジュールらにいいように扱われている奴だったり、とその辺もご都合主義っぽい。

潜入捜査をする女刑事のカーリー・ポープが賀川雪絵みたいなルックスで、ボンジュールらの仲間のビッチ女よりも一番ビッチで悪女的に見えるのは中々悪くないし、実は彼女はビッチ女とレズ関係になりながら、彼女を更生させようとしていたりするところもいいのだが、しかし、色々盛り沢山な人間ドラマを安っぽい刑事アクションタッチの中に無理矢理盛り込んでる感が出過ぎていて、大して盛り上がらない。

たぶん脚本はボンジュールの心理やラングレンら刑事たちの厳しい捜査、または潜入捜査するカーリーの気持ちなどを丁寧に描いたヒューマンドラマメインの脚本ではないかと思えるのだが、どの描写も中途半端に流れてしまっていて、どこもかしこもピリッとしない映画になってしまっている。

その上ラングレンの存在感がかなり弱いので、全体的にもパッとしない映画になってしまっている一篇。 2018/01/16(火) 01:18:46 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)
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