0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

追悼 たむらまさき




撮影監督のたむらまさきさんが先日亡くなった。

小川紳介のドキュメンタリー映画での凄ざまじいまでに映画的なカメラワークにはかなり瞠目した覚えがある。

その他相米慎二の「ションベン・ライダー」の見事な長回し撮影もかなり素晴らしかった。

また、青山真治監督とは相当数の作品で組んできたが、青山作品のあの過度な映画的強度を支えたキャメラマンだったのだろうと思う。

黒沢清の「蛇の道」「蜘蛛の瞳」の不気味に映画的な映像も実に印象深い。

その他、最盛期の柳町光男監督作や、「竜馬暗殺」、「萌の朱雀」、「タンポポ」、「2/デュオ」、「のんきな姉さん」、映像的な強度が際立っていた「うらぎりひめ」他などなど、映像的にも映画的にも、画面に映画としての過度な魅惑が溢れる優れた作品の撮影が実に見事だった。

映画的なるものを支えてきた、日本映画史どころか世界映画史に残るべく名キャメラマンだったと思う。

たむらまさきさん、ご冥福をお祈り致します。







2018/06/02(土) 00:04:04 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)

『子連れ狼 死に風に向かう乳母車』

三隅研次『子連れ狼 死に風に向かう乳母車』再見、

子連れ狼こと元公儀介錯人・拝一刀=若山富三郎と、その子・大五郎は、旅の途中、渡り徒士の加藤剛に立会いを求められるが、加藤を真の武士と見た若山は、対決前に「分け」とし、その場を去る。

その後、若山一刀親子は、女衒の名和宏を襲いかかられたはずみで殺してしまった少女を匿うが、少女は、浜木綿子の一家に女郎として売られていた。

少女の持つ位牌を見た若山一刀は、引渡しを求める浜の申し出を断り、その代償として、少女の代わりに、女郎の責めである水責めと”ぶりぶり”にかけられる。

少女は解放されるが、若山一刀のあまりの強さと根性に敬服した浜は、父・浜村純に引き合わせ、浜の双子の姉を殺した天領代官・山形勲を殺すよう、若山一刀に刺客を依頼する。





小池一夫、小島剛夕の原作漫画を、勝プロダクションが製作し映画化した、若山富三郎=拝一刀主演の映画版シリーズの第3作。

脚本も小池一夫が担当している。

貫禄、殺気、威厳、強さの全てを見た目で完全に体現している若山富三郎の強烈な存在感は、冥府魔道に怯まず突進していく拝一刀にはさすがに似合いまくる。

個人的には最高、最強のハマリ役の拝一刀だと思う。

そもそも隙のない緊密な殺陣シーンを演出する三隅研次の時代劇に、マカロニウエスタンのように血が飛び、腕が飛び、若山一刀が宙を舞う場面などなどが加わり、あまりにも荒唐無稽ではあるが、緊迫感と臨場感と生々しい迫力がない交ぜになった面白さとなっている。

冒頭、渡り徒士に落ちぶれているが善玉っぽい加藤剛が、仲間の質の悪い渡り徒士たちが旅の母娘をレイプしようとして、お付きの男に追い回されると、仲間を叱責するのかと思いきや、加藤はいきなり男を叩っ斬り、何故か母娘まで叩っ斬ってしまい、質の悪い渡り徒士たちより加藤剛の方がヤバい奴であることがわかる。

しかし加藤は別にサイコパスな殺人剣士なのではなく、真の武士を追求している男だそうで、若山一刀にまで”真の武士”のお墨付きを貰うのだが、真の武士が罪もない旅の男や母娘を無慈悲に殺すのかよ(苦笑)とは思う。

その後は、若山一刀が女衒を殺した女を庇って、浜木綿子一派に水責めと、縛られてからグルグル回されて棒で叩かれまくる”ぶりぶり”を代行し、呻き声すら上げない根性を浜木綿子一派に怖れられるのだが、その”ぶりぶり”をやってる時のぶりぶりぶりぶり歌いまくる掛け声が中々可笑しい。

若山一刀は、浜の頼みで双子の姉の仇の山形勲を殺すよう刺客依頼を受け、そこからは山形との攻防戦となるが、山形の用心棒の草野大悟のガンマンが、川で溺れる大五郎を助けようとして拳銃を沖に置いてきて、それが大五郎の芝居とわかった直後に若山一刀に斬られるのだが、これはまあ父子の連携プレイと言えば聞こえはいいが、随分卑怯な手ではある。

悪役草野の慈悲の心を、小さな息子に踏みにじらせて叩き斬るというのは、拝一刀らしいと言えばらしいが、ほとんど卑劣な悪役まんまの作戦である。(苦笑)

もう一人の用心棒、和崎俊哉を若山一刀が宙を舞って、和崎の脳天に刀を落とす殺し方などは、「必殺」シリーズを超えている秀逸さである。

それにしても、ラストの地蔵ヶ原での、弓や鉄砲の部隊から、戦並みの数の兵を率いる山形勲軍団VS若山一刀親子2名の対決となるクライマックスはあまりにも圧巻である。

山形軍団が弓をどんだけ撃とうが乳母車がブロックし、鉄砲隊が一斉射撃をすれば、若山一刀は乳母車内蔵のマシンガンで鉄砲隊を蜂の巣に。

迫り来る兵には手榴弾を投げまくり、数が減った兵を刀と薙刀で叩き斬り、臨機応変に宙を舞ってはどんどん斬り殺し、ついには山形勲一人に。

しかし馬に乗って銃を撃ちまくる完全な西部劇ガンマンスタイルの山形に、若山一刀はなんと二丁拳銃で山形を射殺し、山形勲軍団を全滅させてしまうのだから恐れ入る。

ここまでバカを超えた荒唐無稽さだと、笑ってる暇もなく、ひたすら感動を覚えるしかない。(特に劇場の大スクリーンで見ると)

こうした無茶苦茶に荒唐無稽すぎる描写を、今日一番受け継いでいるのは、やはりロバート・ロドリゲスの「マチェーテ」シリーズだろう。

三池崇史の「スキヤキウエスタン・ジャンゴ」は好きな映画ではあるが、バカを通り越した荒唐無稽の迫力という点では、この1972年製作のプログラムピクチャーにまだまだ負けていたなと思う。

その上で最後は、真の武士道を全うしようとする加藤剛と若山一刀の再度の立ち会いで終わり、中々抒情溢れる終わり方をするのである。

それも、介錯した若山一刀に首を撥ねられた加藤の、その斬られて転がる首の一人称主観(と言っても、もう首だけだから死んでるが)ショットを挿入するなどという、最後の最後まで奇天烈なことをやっているのに、それでもラストは抒情に満ちているのである。

これは全編に渡って、三隅研次の山々や川や竹林、草原地帯や岩場などなどの大自然に向けられた鋭いショットに内在する抒情性ゆえではないかと思う。

今なら、まるで北野武と三池崇史が一緒に撮ったような映画に見える。

バカを通り越した荒唐無稽時代劇ではあるが、そのことに映画的感動すらある、素晴らしき一篇。

2018/05/29(火) 00:06:52 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

『ストリート・ファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー』




アンジェイ・バートコウィアク『ストリート・ファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー』、

春麗(チュンリー)は父母と幸せな生活を送っていたが、ある日、屋敷を訪れたベガと部下バイソンが父を誘拐する。

その後美しく成長した春麗=クリスティン・クルックは子供の頃から憧れていたピアニストとなり、病気を抱える母を支えて生活していた。

ある日、公演を終えた春麗のところに謎の絵巻物が届いたため、それを解読しようと古本屋の女主人に見てもらうと、女主人は「バンコクへ行き、今の生活を捨ててゲンという男を捜せ」と春麗に告げる。

母が死んだ後、バンコクへ旅立った春麗は貧民街のストリートで生活してゲンを探すが、中々見つからなかった。

だがある日、チンピラが老人を襲うところを見て、春麗は父から教わった中国拳法でチンピラたちを退治するも、それまでの疲労の蓄積から倒れるが、目を覚ました時声を掛けてきた男はなんとゲンだった。

ゲンは元はベガの親友で悪かったのだが、改心してベガと別れ、弱者のために戦う”スパイダーウェブ”を組織していた。

実はゲンは、春麗を密かに自らの元に導き、見守っていたのだった。

父がまだ生きていて、その広い人脈をベガに利用されている事を知った春麗は、父と再会したがるが、ゲンは、まず怒りを消して冷静になり、真の強さを手に入れろと春麗を諭す。

教えを受け入れた春麗は、心を鍛え、拳法の腕を上げていく。






カプコンの対戦型ゲーム「ストリートファイター」シリーズのキャラ、春麗を主役にしたアメリカ映画。

いかにもゲーム映画っぽいストーリーボードの上を、ひたすら流れていくような映画である。

そもそもゲームのストーリーというものは映画のストーリー展開の模倣だと思うのだが、その模造品のストーリーを映画が逆になぞり直すと、どうにもわざとらしい感じが否めない映画になってしまうことが多い。

だからどうしても不自然さが付きまとう”ゲームっぽい”映画になってしまう。

三池崇史をもってしても、「龍が如く」は極めて不自然な”ゲームっぽい映画”になってしまっていたし、まあそうなりやすい傾向が強いのだろう。

別に主役の春麗=クリスティン・クルックは好演しているのだが、そういう元々の不自然さが延々邪魔に感じられる映画である。

あれだけ恋い焦がれていた春麗の父が、後半あっさり春麗の目の前で殺されてしまうのだが、ゲームの映画だからか、やたらに展開優先で、父を目の前で失った春麗のショックや悲しみは極めてテキトーにしか描かれない。

元は悪の手先だったゲンが、改心した心理的プロセス描写もロクに描かれず、ただ設定上、善玉にキャラ設定が変わっただけみたいになっているところも不自然である。

悪人とは言え、親友だったベガとの葛藤すらロクに描かれず、ゲンのキャラ設定が変わったから、ただの善対悪の対決としてしか描かれないテキトーさである。

なんでも設定、設定、キャラ変更したらそれまでの心理的内実全部無視してバトル展開が描かれていくだけの、ゲーム特有のクソつまらなさが不自然さとして顕れまくっている映画である。

こんなもんゲームでやってろ、と言うしかないが(苦笑)、まあ一応役者陣が悪くないし、アクションが展開するので物凄く退屈というわけではなく、それなりには見ていられる一篇。 2018/05/26(土) 00:05:15 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『無宿人御子神の丈吉 川風に過去は流れた』




池広一夫『無宿人御子神の丈吉 川風に過去は流れた』再見、

御子神の丈吉=原田芳雄は、渡世人の足を一度洗ったが、妻子を惨殺されて、その仇を討つため復讐の旅に出る。

だがいきなり関東八州の親分が集う集まりに乗り込み、仇の井上昭文を殺そうとするが、捕まり殺されそうになる。

実力者の内田朝雄が諌めたため、原田は川に簀巻きにして捨てられるに止まり、なんとか助かるが、その後、関東八州で睨まれるようになり、厳しい旅となる。

だが途中、原田の事情に理解を示す内藤武敏が、内田の娘、中野良子を無事内田のもとに送り届ける仕事を原田に依頼する。

原田はそれを受けて中野と旅立つが、恨みの国貞忠治=峰岸隆之介(徹)が捕まったことを旅中に知り、御上より先に峰岸を殺そうと躍起になっているうちに、中野を連れ去られてしまう。





笹沢左保の原作を映画化した、シリーズ2作目。

御子神の丈吉=原田芳雄はあまりに役に似合っていて、やはりこの股旅シリーズの原田はかなり決まっている。

原田芳雄は復讐の旅に出る男の役が本当に決まる。

この御子神の丈吉の原田芳雄を見ているだけでも満足出来るような存在感である。

その意味では、マカロニウエスタンのような股旅時代劇映画であり、血生臭い描写が多いところも、復讐の流れ者の殺し合いが連続するテンポのいい展開もマカロニっぽい。

内田朝雄はここでは珍しく善玉役で、シリーズ前作から原田を狙う菅貫太郎や、早川雄三、井上昭文、安部徹らが悪役である。

最後は井上昭文を殺して、原田は一部復讐を果たす。

中村敦夫が、同じ笹沢原作の「木枯らし紋次郎」の紋次郎っぽいキャラの謎めいた流れ者、疾風の伊三郎を演じており、お話の本筋にはあまり絡まないが、いい味を出して脇を締めている。

殺陣の立ち回りがスマートなチャンバラではなく泥臭い分、生々しいリアリティとスプラッタ気味の血生臭さがよく出ていて、この題材にはよく合っている。

やたらワガママ娘な中野良子は、普通ならこういうキャラは主役の相手役になることが多いが、意外と途中であっさり殺されてしまい、寧ろ原田の相手役は女郎の市原悦子ということになるだろうか。(しかし絡みのシーンはない)

展開の面白さが際立った、シリーズ一作目の「牙は引き裂いた」も良かったが、こちらもテンポの良い展開、御子神の丈吉=原田芳雄の役にピッタリなカッコ良さ、流れ者のマカロニ時代劇のような血生臭さ、などなど、随所に魅力ある面白さの、秀作な一篇。 2018/05/22(火) 00:06:22 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

追悼 星由里子




星由里子さんが亡くなった。

亡くなった今でも流れている、健康食品としてのコーヒーの通販CMで随分お元気そうにされていたのに、残念である。

近年では「科捜研の女」のマリコ(沢口靖子)の母役が印象深いが、若い頃は「若大将」シリーズ、「新網走番外地」シリーズなどに出ていたアイドル的な美人女優だった。

やはり若大将シリーズのヒロインというのが代表作だろうか。

その他、鈴木英夫の、徐々に逞しいバスの車掌になっていく「暁の合唱」や、「旅愁の都」「サラリーマン目白三平 女房の顔の巻」でも好演していた。

岡本喜八映画や、「若大将」シリーズの相手役・加山雄三=刑事の妻を演じた「恐怖の時間」でも良かった。

また「世界大戦争」、名作「父子草」や、爽やかな恋愛映画だが、絶えず不信感から不安な表情を浮かべていた「B・G物語 二十歳の設計」でも妙にサスペンスフルな好演を見せていた。

「モスラ対ゴジラ」他の怪獣特撮や、成瀬巳喜男の「妻として女として」「女の座」、「国際秘密警察 火薬の樽」や、高島忠夫の相手役の「乾杯!サラリーマン諸君」他などなどでの好演も印象深かった。

「刑事物語3 潮騒の詩」では、「科捜研の女」で娘役の沢口靖子と共演していた。

お嬢さん的な品の良さと芯の強さが同居した美人という個性は、老いて尚、健在だったように思う。

東宝という映画会社の個性を代表するような美人女優だったという印象も強い。

星由里子さん、ご冥福をお祈り致します。







2018/05/19(土) 00:06:54 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)
前のページ 次のページ