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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『シャンドライの恋』




ベルナルド・ベルトリッチ『シャンドライの恋』再見、

アフリカで政治活動をしていた夫が逮捕され、シャンドライ=タンディ・ニュートンは単身ローマにやって来て、イギリス人音楽家のキンスキー=デヴィッド・シューリの屋敷で使用人として働きながら、医学の勉強をしていた。

無口な主人キンスキーとシャンドライは、当初まるで話をしなかったが、徐々に交遊するようになる。

そしてある日、突然キンスキーはシャンドライにプロポーズするが。




ジェームズ・ラスダンの短編小説をベルトリッチが映画化した、イタリア、イギリスの合作映画。

謂わば、肌の色から育った環境から音楽の趣味から全く違うイギリス人とアフリカ人の男女が、一つ屋根の下で愛し合うようになる様子を、かなりまったり描いている映画。

撮影はベルトリッチ映画の常連ヴィットリオ・ストラーロではなく、ファビオ・チャンケッティだが、それでも螺旋階段を上下するカメラワークには、小さくだが、いつものベルトリッチ映画的カメラワークが感じられる。

しかしそれは緊迫的なカメラワークというよりは、徐々に近づいていく、様々な点で違いのある男女が仲良くなっていくプロセスを捉えた緩やかなカメラワークという感じである。

ベルトリッチ映画としては珍しいラブコメ的設定の映画だが、この映画の頃は、まだグローバリズムや、EUに至るような異国感交遊というものに希望があったのだろうな、と今見直すと、そんな感じがする。

肌の違い、文化の違い、生活習慣の違いを超えて徐々に男女が繋がっていくプロセスこそが、ヨーロッパがEUを形成していくまでのプロセスにも見えるし、当時のヨーロッパの希望にも見える。

しかし現実には、その後時を経て、EUは壮大な社会実験が失敗したように弊害だらけになってしまったし(実は構造的には当たり前の話なのだが)、移民問題も、もはや、現実にはこんな長閑な交遊などやってる場合ではなくなってしまったところまで来ている。

この映画は、半ばラブコメ形式で、かってのヨーロッパの理想や希望が描かれた映画に見えるし、と同時に政治犯の妻の異国間不倫映画にも見えるのだが、そういう意味では、ヨーロッパの希望であったEUの理想が失敗し、弊害だらけとなってしまった今の時代に見直すと、どうしても一昔前の長閑な理想映画の感じがする。

しかし、ラストは、シャンドライとキンスキーがベッドを共にしているところに、政治犯の夫が訪ねてきて、シャンドライが慌てるところで終わっており、つまり、もしその後にキンスキーと政治犯の夫との間が修羅場となったならば、それが”今の時代”であると言えなくもないだろう。

そういう意味では、ベルトリッチはそう牧歌的かつ理想通りにEUへの希望は叶わないし、そこには複雑な事情が絡んでいて、平坦な道ではないということを、キッチリ最後に匂わせて終わらせている映画にしている気もする。

異国間ラブコメ映画としては、シャンドライに文化をわかってもらおうとしたり、シャンドライに尽力するキンスキーは健気だし、ローマに来て必死に生きているシャンドライも同じく健気で、ユルいタッチの好感の持てる恋愛映画にはなっている。

しかし、一昔前の牧歌的なヨーロッパの理想映画という感じが、今見直すとやはりしないでもない一篇。 2018/04/28(土) 00:06:43 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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