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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「15時17分、パリ行き」




クリント・イーストウッド「15時17分、パリ行き」、

554人の乗客が乗るアムステルダム発パリ行きの高速鉄道の中に、武装したイスラム過激派の男が乗り込む。

乗客が、トイレに長居するその男を不審に思い、トイレの前に張り込むと、中から自動小銃を持った男が出て来て発砲する。


時は遡り、その頃、アンソニー・サドラー、スペンサー・ストーン、アレク・スカラトスの3人の少年は学校で問題児扱いを受けていたが、母たちはいつも息子の味方だった。

成長した彼らのうちスペンサーとアレクは軍隊に入るが、ある時3人でヨーロッパを旅行し、アムステルダム発パリ行きの高速鉄道に乗り込むが。







2015年に起こったタリス銃乱射事件という実話を、実際のこの事件で、テロリストに立ち向かった現実の本物の3人、アンソニー・サドラー、スペンサー・ストーン、アレク・スカラトスをそのまま本人役で出演させたイーストウッド監督最新作。

事件の時、乗客だった人たちも出演し、撮影も事件が起こった場所で行われている。

最近は、アメリカに現実に存在したリアルな英雄の映画を撮り続けているイーストウッドだが、この映画では、現実の本物の当事者が自らを演じるという、まるで再現のような映画を試みている。

かって、2001年9・11に起きたアメリカ同時多発テロで、ハイジャックされた4機のうち、唯一テロの目標が成立しなかったユナイテッド航空93便のテイクオフから墜落までの機内や、地上の航空関係者たちの危機迫るやりとりを描いた「ユナイテッド93」というノンフィクション映画があったが、あちらも管制塔の航空関係者や軍の人々には実際の現実の当事者=本物がたくさん出ていた。

しかしこちらは、あくまで3人の若者の生い立ちから、その人生を描き、そこからリアルな事件の再現へと向かっていく構成である。

前半から描かれるのは、その若者3人の少年時代の出会いと挫折であり、また成長し軍隊に入ってからの紆余曲折や失敗である。

つまりこの3人の英雄となった若者が、決して超人でもヒーロー的な存在でもなく、ごく普通の失敗だらけの若者であることをわりと簡潔かつ淡々と描いて示していく。

だからこそ、その普通さが、ラストで3人の若者がテロリストに立ち向かうシーン以降に、強烈なリアリティが増す伏線のように効いてくる。

何と言っても、ラストのテロリストに撃たれた人を、彼らが介護するシーンの強烈なリアリティはあまりにも凄まじい。

まるでドキュメンタリーの現場そのもののような強烈なリアリティが、映画自体をまるっきり現実そのもののような、凄ざまじい生々しさへと生成変化させてしまうのだ。

もちろん3人はいきなり英雄になったわけではない。

最初にテロリストに突進して行ったスペンサーは、かねてから、人を救う仕事に就くことを渇望しており、そのために努力をしては挫折し、失敗と挫折を繰り返して来た若者である。

しかし失敗してもスペンサーの中の信念は変わらなかったのだろう。

乗客全員を無差別に殺せるだけの弾薬を持っていたテロリストを制圧する場面のアクションも、極めてドキュメンタリー的なリアリスティックさである。

そこでスペンサーはテロリストが隠し持っていたナイフで首の後ろを斬られながら押さえこみ、その後その負傷した身体で、撃たれた乗客(テロの危険を察知し、トイレを張り込んでいたこの乗客ともう一人の人物も、やはりリアル英雄だろう)を介護し続ける。

そこからスペンサーの信念が強烈に伝わってくる。

その強烈さが、そのまま映画自体を、あまりにも圧巻な凄みへと生成させてしまうのである。

無差別テロに突然巻き込まれる可能性は、今や現実に十分ある。

実際、この映画をパリで撮影している最中にも、バルセロナでテロ事件が現実に発生していた。

この映画は、何気ない日常が、いきなり無差別テロによる殺戮の修羅場と化すことが当たり前にある現実をも捉えようとしているのだろう。

だから現実を、ヒーロー的にではなく、あくまで失敗と挫折だらけのごく普通の若者として生きていた、役者ではない実物の3人にそのまま演じてもらい、3人のその生い立ちと人生、または生活やそこに芽生えていた信念を、あくまで日常描写として描き、それをそのまま、クライマックスのドキュメンタリー的な事件の強烈な再現場面に繋げているのだろう。

この映画には、ドキュメンタリーと再現映画、劇映画的なパートとドキュメンタリーパートへの変換というようなシーン的な離反や、実験的なあざとさがあまり感じられない。

つまり3人の生い立ちを描いた場面を、余計なものを描かずに、ただシンプルかつ簡潔に、演技はしているが、淡々と描いていくことに徹しているので、そこから無理なくクライマックスのテロ制圧場面の強烈なドキュメンタリー的リアリティのラストへと繋がっていくのだろう。

最後も、ただ表彰されるだけで、余計なことを色をつけて描いたりせず、あっさりとした終わり方となっているのが素晴らしく、上映時間も94分と極めて簡潔である。

クリスチャン・ジェイコブの音楽も秀逸で、エンディング曲は特に見事な名曲だと思う。

イーストウッドが監督として、これまでより斬新な領域に踏み込んだ映画だが、紛れもない傑作となっている素晴らしき一篇。 2018/03/03(土) 13:03:42 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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