FC2ブログ

0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『君の名は。』





新海誠『君の名は。』再見、

東京に住む高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと岐阜県飛騨地方の糸守町に住む女子高生・宮水三葉になっていた。

逆に三葉は瀧になっていた。

2人はそれを夢だと思いながら、知らない異性の生活を送る。

その後も週に2、3回入れ替わりが起きたため、二人はこれは夢ではないと気づく。

最初は戸惑いもあったが、二人は徐々に入れ替わりを楽しむようになる。

ある日、突然入れ替わりが無くなり、
気になった瀧は、記憶から描いた糸守町の風景画を持って、友人の藤井司やバイト先の先輩の奥寺ミキと共に飛騨へ行く。

だが実は、糸守町は3年前にティアマト彗星の破片の隕石が落ちて消滅していて、三葉の家族や友人など、住民500人以上が死んでいた。

瀧は、その後、宮水神社の御神体が実在していたことから、2人の入れ替わりに3年間のズレがあったことを知る。

瀧は入れ替わりを起こそうと、3年前に奉納された三葉の口噛み酒を飲むが、目を覚ますと、隕石落下の日・朝の、三葉の身体に入れ替わっていた。

瀧は、三葉の友人2人とともに、住民を避難させるため、変電所を爆破し、停電させ、電波ジャックをして避難を呼びかける町内放送を行うが、三葉の父・俊樹らに妨害される。





昨年、超メガヒットし、今後は海外でリメイクされるらしいアニメ映画。

正直、これは大林宣彦の「転校生」と「時をかける少女」と、新海誠的セカイ系アニメと東日本大震災の暗喩が合体した映画だなと初見で思ったのだが、再見してもやはりそう思った。

だから江川達也による批判も、そう的外れなものではないとは思うのだが、しかしどうにも悪く言う気にはとてもなれない映画である。

別にこちとら、RADWIMPの音楽のファンになったわけでもないし、飛騨地方の鉄道風景や町並みがリアルな相貌だとか、東京のパステルライトな街並みが魅力的だとかいう点をそう殊更高く評価しているわけでもない。

また、それぞれのキャラクターにも特別過度な思い入れがあるわけでもないのだが、しかしやはりこの作品が、東日本大震災に対する、多くの日本人の忸怩たる思いと後悔の念のいじましい結晶に見えて、とても悪く言う気にはなれないのである。

隕石の落ちた糸守町は、どう見ても東日本大震災の被災地に見えるので、三葉と入れ替わった瀧が、三葉の飛騨の友達らと派手な避難作戦を決行して、住民を逃がそうとし、その8年後には住民が皆助かっていた、という展開を迎えると、所詮アニメ映画のウソの作り話だとわかってはいても、やはり安堵した気持ちにもなるのだ。

アニメ映画のパラレルワールド設定なんて、所詮、現実逃避の「タラレバ」でしかなく、この映画もモロにその現実逃避の「タラレバ」をパラレルワールド設定にて行っているだけかもしれないし、新海誠的セカイ系路線が、東日本大震災を彷彿とさせたことでリアリティを獲得しただけの作品だと言ってしまえばそれまでである。

だが、震災で亡くなった人々へのレクイエムも必要だが、生き残った者たちへのレクイエムだって必要だと思う。

この映画はそれに成り得ていると思う。

この作品が超メガヒットしたことで、世界的に公開され、リメイクまで進んでいるという、その世界的拡散自体が、世界中で巻き起こり続けている地球規模の大天災後に、大きな喪失感を抱えながら、その後を生きていかなくてはならない、生き残った人々のためのレクイエムになればいいと思える。

野田洋次郎がメインになって作られたRADWIMPの音楽の、あの”優しさ”も、まさにそれに成り得ていると思う。

冒頭の展開がハイテンポな上に、ちょっと錯綜的なので、わかりにくいとも言われているが、テンポがいいので、すんなり設定の世界に入りやすいし、異様な入れ替わり設定自体を大仰に描かず、コミカルに見せているのも妥当な描き方だと思う。

傑作だとか秀作だとか言うより前に、やはりこの作品はどこか、一つの”役割”を背負っているように思える一篇。 2018/01/06(土) 00:06:29 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://shoheinarumi.blog18.fc2.com/tb.php/1907-fb6e410d