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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『湯を沸かすほどの熱い愛』




中野量太『湯を沸かすほどの熱い愛』再見、

宮沢りえは夫のオダギリジョーと銭湯を経営していたが、オダギリが失踪したため休業し、パン屋のバイトで生計を立てていた。

だがある日、パン屋で客と応対中に宮沢は倒れ、病院で検査を受けると、医師からすでにステージ4の末期ガンで、余命2~3カ月との診断を下される。

宮沢はショックで落ち込むが、すぐに残されたやるべき仕事を死ぬまでに全うしようと動き出す。

クラスでイジメに遭い、不登校寸前となった娘の杉咲花に、宮沢は逃げないで立ち向かえと叱咤激励し、イジメるクラスメイトにはっきりモノが言えるように強い態度で迫る。

その後、行方不明のオダギリを連れ戻し、銭湯を再開させ、家庭を元に戻そうと奮闘。

オダギリが愛人から押し付けられた連れ子も引き取り、オダギリに留守番をさせて娘たちと旅に出る。

それは本当は自分の実の子ではない杉咲を、実母に会わせるための旅だった。





宮沢りえ主演の、余命幾許もない母と家族を描いた映画。

中野量太は前に書いた『琥珀色のキラキラ』もそうだったが、一見一時期流行った安い難病もののお涙映画なようで、それを捻ったりバリエーションを加えて別の映画にしてしまうのが巧い監督なので、これはそこがブレイクして、昨年様々な映画賞を総ナメにした出世作だろう。

宮沢りえの演技は神がかった名演だし、杉咲花もかなりの好演を見せていて悪い映画では全くない。

しかし、そのような中々悪くない映画だと思う反面、どうしても「感動の押し売りの物量作戦」じゃないかとも思えるのである。

難病にイジメの克服、親に捨てられた運命の娘の悲哀と、安いお涙映画が一つのお涙ネタでやってきたことを色々組み合わせて、最終的にうまく伏線回収し、宮沢りえに死とは正反対の生のタフさを演じさせれば、安っぽい印象が消えて感動の名作に格上げされるだろう、というあざとい計算で成り立っている映画なようにも見えてしまうのだ。

どの場面も、それぞれ別々の安いお涙映画で見たような場面ばかりだし、それをベタなショットと音楽で煽って、物量作戦でMIXすると、安いお涙映画認定から外れるというだけで、どうもしっくりこない。

なるほど、イジメに遭っている杉咲にブラジャー付きの大人な下着を宮沢が心配から渡したら、自分の力でイジメに立ち向かおうとした杉咲が、教室でいきなり下着姿になることで自らの覚悟を表明する場面が評判いいのはわからんでもない。

しかしそんなことをしても、笑い者にされるだけで、それで相手に立ち向かったことになるとは現実的には思えない。

宮沢は娘にイジメに一人で立ち向かえとは言うが、隠蔽もせずにイジメを無くそうする教師に娘を助けるようにも頼まないし、イジメる側を糾弾する戦い方もしない。

あれで杉咲がその後イジられなくなるとは現実的にはとても思えないし、毅然とした態度で修羅場を避けない対決をするなり、イジメを隠蔽しない教師と共に戦うとかもしないで、立ち向かいパフォーマンスをやったら観客感動なんてのは、あまりにも綺麗事にすぎる。

それにオダギリジョーの夫は、愛人に娘を押し付けられたとは言え、自分の娘ではないのか?

宮沢が実の子ではない杉咲を実の母以上に親身になって育て、その上、何の関係もない子供まで宮沢が親身になることで、やたらと宮沢に花を持たせ、オダギリはひたすら他人事顔しているのに、どこかいい奴風に描かれるというのも何だかあざとい。

宮沢りえの神がかった名演ゆえに、周りの者たちが宮沢のすごさをリスペクトする場面には説得力があり、こんなタフで思いやり溢れる母親も現実にいるかもしれないなとは思わせる。

杉咲花が徐々にしっかりしてくるところなども自然に出ていて、役者陣の演技は申し分ないのだ。

賛否両論のラストは無茶苦茶だが(苦笑)、話の流れからすれば、まあ映画だし、こういう終わり方も有りだとは思う。(普通に犯罪だとは思うが)

しかし、全体的には感動の押し売り物量作戦ぶりが随所に目立ち、そう悪い映画ではないが、世間ほどには絶賛する気になれない一篇。 2017/12/23(土) 01:49:39 その他 トラックバック:0 コメント(-)

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