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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『この世界の片隅に』




片淵須直『この世界の片隅に』再見、

昭和19年2月、18歳になったすずは、広島から呉の北條家にお嫁に行く。

戦時の中、物資が足りない状況で、すずはちょっとボーッとした明るい性格で生活していた。

出戻りの義姉には辛く当たられたりするものの、義姉の娘とも仲良くはしていたが、空襲が激しくなり大切なものを失っていく。

そしてついに、広島に原爆が投下され、終戦となる。

敗戦後の日本ですずは呉に住むことを決め、気丈に生きていく。



元々はクラウドファンディングで一部製作資金を調達した作品だが、昨年拡大的に大ヒットし、映画賞を完全に総なめにした、こうの史代の原作漫画のアニメ映画化作品。

もはや名作の誉れ高い映画だが、昨今の金のかかったアニメ映画などよりかなりアナログな表現で描かれているし、決して派手なアニメ映画ではない。

しかしコトリンゴのサントラと歌、すずを吹き替えたのんのあまりのハマリ役と融合ぶりなどが大きく功を奏し、そんじょそこらのアニメ映画などより遥かにスケールの大きな作品にどんどん見えてくる作品である。

確かに素朴な日常描写の中描かれる、爆撃描写や音の迫力などはかなりインパクトあるが(特に劇場で観ると)、全体的には戦時下なのにほのぼのした描写がメインである。

決して過剰に反戦映画的ではないし、戦意昂揚映画的でもなく、あくまで戦時下の普通の日常をほのぼの描いた描写が多いのだが、この戦時下のほのぼのした日常描写の愛着こそが大きな伏線であり、爆撃が過激になり、人々が死に、すずと一緒にいた大事な存在が死んでしまうと、その喪失感はすずや家族だけでなく、観客にとっての喪失感なようにも感じられてしまうのである。

すずをいじめるように厳しい態度を取る義姉が、戦時下の厳しい状況における人々の切羽詰まった本音の表象のように描かれているが、しかし徐々に、厳しい態度の中に弱さや悲しさや、すずへの優しさが露出するようになる。

そのすずと義姉の関係性の推移に、戦時下の人々の心の推移が描かれているように思う。

終戦となり、日本が敗戦した時に、居ても立っても居られず走り出し慟哭するすずの姿は、まさにその瞬間の日本人の気持ちと声を全て代弁しているような慟哭であろう。

それは単なる反戦意識ではないように思え、寧ろ戦時下を生き抜いてきた人間だけの生の叫びであるように見える。

つまりこの映画は、戦時下という異常な状況=現実をあくまで普通に生きた人々の姿を重ねて描いていくことにより、爆撃の被害に遭い、敗戦した日本人の普通の人間としての叫びや慟哭をリアルに刻み込んでいる作品だと思う。

戦後GHQの教育により反戦思想を大っぴらに語るようになった戦後的意識で語られる反戦映画もあるが、しかし、そういうのは戦後的な意識であるという点で、すでに戦時下のリアルというものを捉え得ていない、予め反戦プロパガンダ目的で作られた恣意的な映画にすぎない。

この作品は、そういう恣意的な反戦プロパガンダ目的の欺瞞を周到に回避し、その中で戦時下の人々の姿をリアルに浮き彫りにしようとした、やはり稀有な作品だと思う。

そんな紛れもない名作である一篇。 2017/12/09(土) 02:13:38 その他 トラックバック:0 コメント(-)

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