0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『恐喝』



アルフレッド・ヒッチコック『恐喝(ゆすり)』再見、

刑事のジョン・ロングデンは仕事の合間に混雑するレストランで恋人のアニー・オンドラとデートするが、我が儘なアニーの態度に怒り、喧嘩して先に帰ってしまう。

だがアニーは店で色目を使ってきた画家のシリル・リチャードに誘われ、シリルの家に行く。

そこで、しばらくして急に豹変したシリルにレイプされそうになったアニーは、咄嗟に掴んだナイフでシリルを殺してしまう。

捜査をしていて、シリルの家でアリスが犯人であることを示す証拠を見つけてしまったジョンは、それを隠すが、アニーに事件の経緯を問い質していた時、事件の真相を知るドナルド・カルスルップがやって来て二人を恐喝し始める。





ヒッチコックの、イギリス時代の初のトーキー映画。

レイプされかかって男を殺してしまった女とそのことに気づいた恋人の刑事の葛藤、それとアニーの殺人を知っている恐喝者の三つ巴の対決を描いたサスペンス映画。

最初、モロにサイレント映画風に始まるが、
「ヒッチコック 映画術 トリュフォー」によると、この映画にはサイレント版とトーキー版があり、当時はパート・トーキーという謳い文句だったようだが、ヒッチコックはプロデューサーがやっぱりオール・トーキー映画にしてくれと気が変わる可能性を考えて、音無しだがトーキーのテクニックで撮影したらしい。

主演のアニー・オンドラはドイツの女優さんで、英語が全く喋れないため、声だけイギリス女優のジョン・バリーが演じている。

しかも1929年当時はまだ吹き替えが出来なかったため、なんとアニーが口パク演技をするのに合わせて、撮影と同時進行でジョン・バリーにマイクに向かって台詞を喋ってもらう苦肉の策で撮影したとのこと。

また後半のクライマックスの、大英博物館の追跡シーンは、博物館の照明が暗かったため、プロデューサーが知らぬ間に、こっそり”シェフタン・プロセス”というトリック撮影で撮られているとのことだが、博物館の像の巨大な無表情な顔の横でアクションが繰り広げられる描写は、その後のヒッチコック映画においては『逃走迷路』や『北北西に進路を取れ』などでも描かれ、その原型がこのシーンとも言える。

ヒッチコックご本人は前半の電車の中のシーンで、子供に帽子をいじられる男の役でチラッと出ている。

やはりヒッチコックらしく、心理サスペンス的な部分が一番の要になっている作品である。

刑事のジョンはクソ忙しい中デートに来てアニーに我が儘言われてブチ切れ、帰ってしまうし、アニーはアニーでシリルの画家に色目を使われるとさっさとジョンのことなど御構い無しについて行ってしまう。

その姿をまだ店の前に居たジョンが目撃しているという、なんともメチャクチャだが、リアルにありそうなカップル関係だったりする。

アニーはわりと乗り気でシリルについて行き、平気で男の部屋に上がってコスプレまでノリノリでやり、画家であるシリルのモデルになりたがるという、もうシリルの側からしたら、誘ってるのか?と誤解されても仕方ないような行動を取っているのに、関係を迫られると急に拒否し出し、ついには掴んだナイフでシリルを殺してしまう。

この辺りの描写や展開も、いかにも浮かれた男女のリアルなもつれと惨劇という感じで、ちょっとリアリティーがある。

大昔の初トーキー映画だが、この辺の人間関係のリアルな不安定感が、ヒッチコック的サスペンスに見事に活かされていると思う。

しかし、アニーが犯人である証拠を見つけてしまった恋人のジョン刑事が、あんなに簡単に二股かけられたのを知ってるくせに、そのことのわだかまりを一切持たずにアニーを庇いまくるところはちょっと気になる。

単にジョンが小さいことを気にしないいい奴で、アニーのことを愛しているからと解釈するしかないが、それにしたってもうちょっと何か苛立ちはあるだろ、とは思ってしまう。(苦笑)

だがその後は、アニーの殺人を知っている恐喝者の登場で、アニーとジョンは追い詰められることになる…と普通は展開するだろうが、この映画は刑事のジョンが恐喝者のドナルド・カルスルップに逆ギレして、反対にドナルドを恐喝し始めるという展開となる。

最初は余裕かましていたドナルドはジョンにどんどん脅されて青ざめていき、ついには悲惨な最期を遂げる。

つまりジョン刑事は単に人のいい奴なだけではなく、かなりしたたかな悪徳刑事としても描かれているのだ。

だが罪悪感が拭えないアニーは自首するのだが、そこでも奇妙な展開とラストを迎え、なんだが、善悪の間を揺れ動く皮肉なハッピーエンドとなる。

このラストは「映画術」によると、元々ヒッチコックは、アニーは恋人のジョン刑事に逮捕され、映画冒頭の刑事による逮捕シーンの反復となる、というものを考えていたらしいが、プロデューサーに陰鬱なラストすぎてダメとNGを食らって変えられたらしい。

しかし、真犯人が他の無実の容疑者に罪を擦りつけてハッピーエンドなんて映画の方が余程倫理感のない陰鬱な映画に思えるのだが、この映画のプロデューサーには倫理感もへったくれもないのだろうか。(苦笑)

ただまあ、そうした不可思議な終わり方からしても、あり得るかもしれないリアルな偶然の瞬間と、それと対峙する人間の心理サスペンスを剥き出しで描いている映画とも言えるわけで、トーキー第一作からして、かなりヒッチコックらしい作品である。

それは、ナイフで人を殺してしまった罪悪感に怯えるアニーを前に、何の悪意もない、お喋りで気のいい近所の女性が、ナイフで人を殺すことの残酷さを完全な正義感から声高に訴えるシーンがあり、それがアニーの罪悪感心理をさらに追い詰めていくという、後のヒッチコック映画にもよく出てくる皮肉な描写にも言えることである。

イギリス時代のトーキー映画第一作という初期作だが、そんな頃からヒッチコックらしい才気は十分に見受けられる、佳作な一篇。






2017/02/28(火) 00:04:09 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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