0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『パラダイン夫人の恋』




アルフレッド・ヒッチコック『パラダイン夫人の恋』再見、

ロンドンで盲目の大佐が殺され、妻であるパラダイン夫人=アリダ・ヴァリが犯人として訴えられ逮捕される。

裁判で弁護を担当することになった弁護士のグレゴリー・ペックは、夫人の妖艶な美しさに魅せられていき、恋愛感情から夫人の無実を証明しようとするが、それを感じ取った仲睦まじかったグレゴリーの妻は心配し始める。

その内、大佐の世話人のルイ・ジュールダンが怪しいという状況となり、裁判にてグレゴリーはルイに証人尋問する。




ヒッチコックの法廷・恋愛サスペンススリラー映画。

映画後半はほぼ法廷における裁判シーンだが、冒頭からグレゴリー・ペックは夫人に異様に惚れており、仲の良かった妻の不安な嫉妬心が、前半は恋愛サスペンス的要素として機能していく。

途中からは、かなり怪しいルイ・ジュールダンに対する疑惑と夫人への疑惑がサスペンス要素として機能するが、そのまま後半の裁判シーンに突入する。

鈴木英夫が恋愛映画やサラリーマン映画を撮っても、悉くサスペンスノワール映画になってしまうように、この映画も恋愛映画的部分が全てヒッチコック的なサスペンススリラーになっている映画である。

だからヒッチコックらしさは十分に出ている作品だが、後半の裁判シーンから真相に至るまでの肝心のクライマックスにイマイチ説得力と迫力がないのが惜しい。

結局グレゴリー・ペックの狂った恋愛感情の着地が妙にあっさりしたものにすぎない結末を迎えるし、裁判映画の醍醐味がそれほどあるとも言えず、ゴタゴタしていた状況が、ある事態の急変によって一気に終盤真相の開示に繋がり、妙に呆気なく事件のカタがついてしまうのもイマイチである。

ヒッチコック本人は、「ヒッチコック 映画術 トリュフォー」によると、ひたすらキャスティングミスを反省しており、グレゴリーの妻に色目を使う判事のチャールズ・ロートン以外は、グレゴリー・ペックもルイ・ジュールダンもみんなキャスティングミスだったと言っている。

しかしこの映画のグレゴリー・ペックは夫人に狂的に惹かれていく様を異様に演じて好演しているし、夫人との不倫関係の疑惑がある世話人役なのだから、ルイ・ジュールダンぐらいの二枚目が演じていることには必然性があり、それほど違和感は感じない。

寧ろこの映画は見た目からして悪女、ファムファタールとしての存在感バッチリのパラダイン夫人=アリダ・ヴァリをちゃんと描かなかったことに問題があり、グレゴリー・ペックとの絡みのシーンが妙に堅苦しいところも難点な気がする。

どうもヒッチコックは、アリダ・ヴァリをファムファタールとして描くことに、それほど執着心がないように見えるのだ。

グレゴリーの妻の不安な嫉妬心理がサスペンスにちゃんと成り得ているのに、その不安な心理を誘発しているパラダイン夫人の描写が堅い上にあまりちゃんと描かれていないので、それ故にクライマックスが盛り上がらないのだろうと思う。

だからキャスティングミスというより、適役なキャスティングを得ているのに、その個性や存在感を十分に映画の面白さに繋げられなかった、というのが本当のところではないかと思う。

それでもヒッチコックの大傑作ではないだけで、随所にヒッチ的ニューロティック・サスペンススリラーな瞬間がちゃんと露出しており、そう悪くない出来ではある一篇。


2017/02/18(土) 00:05:02 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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