0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「ダイナソーin.L.A.」




ジョセフ・J・ローソン「ダイナソーin.L.A.」、

ロニー・コックスが率いるバイオ企業では極秘研究が行われていた。

それはDNAを操作して恐竜を現代に蘇らせる研究実験だった。

しかし恐竜お披露目の栄えある会場にて恐竜が暴れ出し、逃げた恐竜たちは会場の人々を食い殺し、街に拡散してしまう 。

消防士のトリート・ウィリアムズは、娘のジリアン・ローズ・リードと会場にいたが、恐竜から逃げる途中、娘がショーケースに閉じ込められてしまい、それをなんとか救出して外へ逃げようとしていた。

会場の外では厳戒態勢が敷かれ、米軍部隊まで出動するが、肉食の恐竜の群れが街と人々を襲い、ロサンゼルス市街は混乱状態になる。

そんな状況で、トリートは娘を連れて逃げようと行動する。





DNA操作で現代に蘇った恐竜が暴れ出し、ロサンゼルスの街を破壊するパニックアクション映画。

しかし、はっきり言ってムチャクチャな映画である。

こんな気の狂った脚本でよく映画が成立したな、と言いたくなるほど、どこもかしこもメチャクチャな映画だ。(苦笑)

そもそも、ハンク・ウーン・Jrの脚本が相当に酷いんだろうが、それを平気で映画化して、さらに無茶苦茶にしているのが、きっと監督のジョセフ・J・ローソンなんだろう。

しかしながら、トリート・ウィリアムズ主演というのはいいのだ。

トリート・ウィリアムズは「ザ・グリード」の頃から、モンスターパニック映画が似合うなとずっと思っていて、その状況がどういうパニック状態であろうが、状況に関係なく、まるで永遠のワンパターン芝居か究極の大根芝居みたいに、涼しい顔してモンスターやパニック状況と対峙するその演技が妙に好きなので(苦笑)、トリート主演作というだけでも、この映画は一応価値がある。

しかしそれ以外はひたすら無茶苦茶な映画である。

まず暴れる凶暴な恐竜が、ロサンゼルス市街で暴れるだけという小規模性を鑑みてか、殊の外小さくて可愛いのである。

まるで商店街の子供向けの恐竜展に並べられてるぐらいの小さな恐竜がセコセコと暴れ回るだけで、モンスターパニック映画の迫力が著しすぎるほど欠けているのである。

それに、かなり多くの人々が会場に集まって恐竜を見に来ているらしいのに、マスコミから警察から世間全般が恐竜蘇生について全く知らんということになっていて、その恐竜蘇生お披露目イベントなんて一大事が、あまりにもな超マイナーイベント扱いになっているのだ。

それに小さくて可愛いとは言え、肉食恐竜には変わりないのに、逃げようとする人々は恐竜の横を肩が当たらんようにすり抜けようとして食われて死んだりする。(そりゃ食われるだろ)

しかも、それまで上司になんでも指示を仰いでいた下っ端の警官が、何故か急に勝手にビルの電源を落とす命令を下し、それがためにビル内の制御装置が効かなくなって、恐竜がさらに暴れることになるのである。(勿論、命令系統の責任追及シーンは全く無し)

恐竜も恐竜で、主人公のトリート父娘だけをストーカー的に追いかけ回し、父娘を追いかけてる時は他の街の人々や車には目もくれなかったりするのだが(何でも最初に襲った人間の匂いを恐竜が忘れられんらしいのだが)、だから結局トリート父娘が逃げるから街に恐竜が広がり被害拡大してしまうという、主人公が最もハタ迷惑な奴らであることがはっきりしているのである。

だが、恐竜が街中で暴れ回ると人々や部隊の人間は殺され蹴散らされるが、何故かトリートは反復横跳びをチョコチョコやってるだけで毎回助かるのである。

マスコミはヘリで恐竜大暴れを報道しているのだが、近ずきすぎて恐竜にヘリを破壊され死んでしまうが、これがどう見ても自殺願望のように近ずきすぎており、ほとんど意味不明なほど必然性がない。

また、トリート父娘の親戚の叔父さんは確かに中々勇敢なのだが、「俺に任せろ!」と恐竜に立ち向かった途端、記録的な速さで即死し、犬死のなんたるかをこちらに見せつけてくる。

トリートの娘・ジリアン・ローズ・リードも、父トリートにやたら私のそばにいてと言うくせに、守ってやると親父が言うと、子供扱いするな!と怒り出し、このパニック状況で自己チューワガママ娘ぶり全開なのである。

挙げ句の果てに、この娘は自分をわざわざヘリに乗って助けに来た、映画登場人物中、最高齢であろうロニー・コックスの爺さんに、ビルの中のトリートの親父を助けろと強要し(お前が一人で助けに行け)、この高齢な年寄りに過酷な階段の昇り降りを徹底的にやらせるのである。

その後、ビル内でトリートは発見され父娘は無事再会するが、恐竜暴発と逃亡の責任を感じていると言うロニー爺さんが、無謀にも恐竜に一人で立ち向かっていこうとするのを、あれだけ過酷な階段の昇り降りをさせて娘と再会させてもらったトリートは平気で爺さんを恐竜に一人立ち向かわせるのである。(ドン引きする娘にカッコつけて「行かせてやれ」とか言って)

その後ロニー爺さんは、ただ単に恐竜に簡単に食い殺されるだけなのだが、映画はロニー爺さんに最後の言葉「サイコーだ!」を叫ばせて、何故かヒーロー譚みたいなまとめ方にしており、当然だが別に全くカッコよくはない。(つーか、ただのトリートの恩アダ返しの見殺しじゃないか)

そんな、娘は自己チューワガママ女の老人虐待、父は恩をアダで返す見殺し野郎なのに、プテラノドン的な空飛ぶ恐竜は、このクソワガママ自己チュー娘を捕まえはするものの、妙に娘に優しいのである。

だから、これはモスラ的な恐竜で、他のテラノザウルスの子供版みたいな敵の恐竜と戦ってくれる展開なのか?と一瞬思わすのだが、しかしながら空飛ぶ恐竜はワガママ娘に優しいだけで、父トリートや他の者にはひたすら凶暴で冷酷に襲いかかるのである。

その上、何故娘にだけ優しいのかの説明も最後まで全くない。

だから父トリートは娘にだけ優しいプテラノドンを最後爆破して殺すのだが、そこにありそうな複雑そうな事情の説明も一切ない。

部隊の指揮官が、ビルを砲撃することの言い訳を長々としてから、恐竜やビルへの砲撃命令を満を持して行なったのに、何故か全然撃たずに、結局恐竜にやられるヘリ爆破シーンの意味不明さも最後まで完全に放置したままである。

ラスト、プテラノドン的恐竜をトリートが爆破して、まあなんだかわだかまりだらけではあるが、一応ハッピーエンドで映画は終わるのだが、しかし他の山ほどいた恐竜がどうなったかは全く描かれず終わってしまう。

あれだけ大量にいた恐竜がまだ街で暴れ回っているとしか思えんのに、映画はラスト、やたらと父と反抗期の娘の仲直りばかりを描いてハッピーエンドムードとなり、これはまさに、主人公父娘だけが助かりゃいいという終わり方である。

しかも、この最初に襲われた父娘の匂いを追いかけて多くの恐竜は街に出て、ロスの街を破壊し人々を食い殺しているのだから、ロサンゼルス市街を大パニックに陥れたのはこの父娘なのに、こいつらだけが助かって、父娘が仲直りしたら、ロスの街が破壊され人々が殺されていようともハッピーエンドとなるという、およそ畜生道にも劣る無茶苦茶な終わり方なのである。

他にも、かなり強力な米軍部隊の銃で恐竜を撃っても全く効かないのに、そこらの木の切れ端で殴ると一発で恐竜が死ぬとか、娘を襲う恐竜を、危機一髪で父が銃を撃つ時だけは殺せるというやりすぎご都合主義などなど、もうツッコミ出したら永遠にキリがないほど全編ツッコミどころしかない、ひたすらメチャクチャな一篇。







2016/11/08(火) 00:07:49 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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