0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「我が道を往く」




レオ・マッケリー「我が道を往く」再見、

ニューヨークのダウンタウンに古い教会があり、そこの老神父・バリー・フィッツジェラルドは、ボロボロの教会と地域の環境の悪さに成す術がなかった。

ある日、そんな教会に副神父としてビング・クロスビーが派遣される。

だがクロスビーはダウンタウンに住む老婆と家主の喧嘩を仲裁したり、街のワルたちに芝居の券をあげて和ませたり、不良少年たちをまとめて合唱隊を作ってしまう。

幼友達のオペラ歌手リーゼ・スティーヴンスにも教会への金銭的援助をしてもらい、何事もうまく行きかけていたが、しかしその夜、教会が火事で全焼。

その上、クロスビーは別の教会に移ることになる。





第17回アカデミー賞の、その年の最多となる7部門を受賞した、名作の誉れ高き映画。

決して派手な映画ではなく、役者としてはまだ未知数だったシンガーのビング・クロスビーと、バリー・フィッツジェラルドの絡みの合間に、さりげなくクロスビーの歌が入り、そう派手でなくクロスビーが作った不良少年たちの合唱隊のコーラスが入るといった感じなのに、その狭間にそこはかとなくユーモアとペーソスが混ざり込み、シックな感慨深さを残す映画になっている。

クロスビーのフィッツジェラルドへの気遣い、フィッツジェラルドなりの周りのことを思ってのさりげない行動、後半場面の、少年合唱隊がクロスビーの作った曲でレコード会社に認められ、そのギャラを教会への寄付という形にしてフィッツジェラルドを助ける粋な計らいなどなどが、喜劇的な中に静かなペーソスとして描かれているところが秀逸。

また、かつてクロスビーが助けた家出娘のジーン・ヘザーは、アパート家主の息子ジェームズ・ブラウンと結婚するが、父からだらしないヒモになったと思われたその息子は、実は空軍に入っており、いかにもあっけかんとしたバカップル風の二人には死を覚悟した哀しみがその裏にあったりする。

フィッツジェラルドが終盤、多忙ゆえに会えなかったアイルランドに住む母親と数十年ぶりに再会するシーンが妙に良かったりと、要するにこの映画は、各々が我が道を往く人生を生きていく、ユーモア溢れる奇妙な人物同士の音楽喜劇映画でありつつも、実はさりげない気遣いと思いやりの映画であり、ラスト、教会に歓喜のアヴェ・マリアが流れるが、それもこのさりげない気遣いと思いやりの温もりへの歓喜の歌として描かれているようで、わりと小粋な幕引きとなっている。

フランク・バトラーとフランク・キャベットによる脚本も見事だと思うが、レオ・マッケリーの絶妙な間の取り方をしたユーモアとペーソスの按配演出も素晴らしく、まさに名作と言える一篇。


2016/10/29(土) 00:05:27 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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