0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「スタークラッシュ」




ルイジ・コッツィ「スタークラッシュ」再見、

銀河系は二つの勢力に分裂していた。

宇宙征服を企む悪の伯爵ジョー・スピネルに対抗し、銀河皇帝クリストファー・プラマーの命令で巨大戦艦が出撃する。

だが、戦艦は伯爵の秘密兵器に攻撃され、皇太子や乗員が消えてしまう。

女宇宙海賊の札付き・キャロライン・マンローは、銀河皇帝から、伯爵の野望を阻止するよう極秘に指令を受ける。

マンローは相棒のマージョエ・ゴートナーと、ロボットのエルと一緒に、伯爵の野望を粉砕するため、宇宙船に乗り込んで旅に出るが。




アメリカ、イタリア合作の、善と悪の皇帝が対立する銀河系で、善の皇帝を助ける女海賊キャロライン・マンローたちの活躍を描いたスペース・ファンタジー映画。

どう見てもオモチャにしか見えない宇宙船と、レーザー光線バトルの特撮のショボさ、ハリー・ハウゼンを安くして醍醐味を薄めたようなストップモーションの迫力の無さと、「おそ松くん」のイヤミがねじり鉢巻きしたような顔つきの骸骨騎士みたいなロボットの形状の可笑しさなどなどを気にするなというのは、ま、まあかなり無理ではあるが(苦笑)、しかし1978年の昔に、同時期の「スター・ウォーズ」の製作費1110万ドルの3分の1くらいの400万ドルほどで作られたスペース・ファンタジー映画に対して、今の時代にチャチだの安いだのツッコんでも始まらないだろう。

ジョン・バリーのサントラやテーマ曲はまともだが、こうまでチープなSF映画で流れると、妙に安く感じてしまうというのも、まあ仕方がないことなのだ。

この映画は、主演が無駄に露出度全開で巨乳を見せつけているキャロライン・マンローなのだし、こういう映画はひたすらこれでいいのだ。(苦笑)

この映画や「地底王国」のような映画には、「恐竜100万年」のラクエル・ウェルチの継承者が1970年代末に存在したことのみに意義があるのだと思う。

それにしても、ラクエル・ウェルチ→キャロライン・マンローという継承の真横で、後に実力派ミュージシャンとなり、デヴィッド・ボウイやドノヴァンと浮名を流したダナ・ギレスビーが、娘時代の60年代に「魔獣大陸」で爆乳を晒し、70年代末になっても「続・恐竜の島」に相変わらずの露出度全開ぶりで出演して、一人で時代を乗り切っていたのは中々大したものだったな、というのも思い出すのだが。

いずれにしても、これは、キャロライン・マンローでひたすら何とかなっている映画である。(苦笑)

同時期の「007 私を愛したスパイ」や「シンドバッド 黄金の航海」も、確かに007シリーズであるとか、ハリー・ハウゼンの特撮映画だというのもあったが、やはりキャロライン・マンローが出ているという余禄が大きかった。

個人的にはキャロライン・マンローのような存在は、随分時を経てモニカ・ベルッチに継承されたと思っているのだが、そのモニカも今やもういい年であり、その後塵にはミーガン・フォックス辺りが控えているという流れなのだろう。

またこの映画のマンローと相棒マージョエ・ゴートナーのツーショットを見ていると、同時期に連載されていた、同じく宇宙海賊を描いた寺沢武一の「コブラ」の、コブラと様々な宇宙美女コンビキャラを想起してしまう。(「コブラ」の方が発表は先)

作品的には大したSF映画とは言い難いのだが、そのキャラ設定やキャロライン・マンローの存在感が、ひたすら決まっている映画である。

悪の伯爵ジョー・スピネルのシェークスピア劇並みに大仰な悪役芝居も笑わせるが、中々愛着ある、憎めないチープ感満載のスペースファンタジー映画の一篇。












2016/10/18(火) 00:05:16 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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