0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「デビル 孤高の暗殺者」




ファン・フェリペ・オロスコ「デビル 孤高の暗殺者」、

一人娘と暮らすエドガー・ラミレスは、かって「デビル」と呼ばれた元ゲリラだった。

ある日、ラミレスは娘と一緒に侵入者に拉致される。

ラミレスの前に車椅子の男が現れるが、男には、かってラミレスのゲリラ組織に誘拐され、1230日間拷問を受けた挙句、父を殺された恨みがあった。

そんな冷酷なゲリラが恩赦によって罰せられることもなく、政府から仕事すら貰って生活していることに復讐者は怒り心頭だった。

復讐者は、自分を破滅させたゲリラたちへの報復として、ラミレスに娘の命と引き換えに、今から72時間以内に昔のゲリラの仲間を殺すよう要求する。

追跡装置を埋め込まれたラミレスは娘の命のために、不本意ながら昔のゲリラ仲間を殺す。

だが今は警察で出世している元仲間をラミレスは殺し損ねるが、その元仲間は報復する男のことを感知しており、復讐者を逆に脅してくる。





復讐の怒りと、殺戮の連鎖、そこから発覚する隠された真実などが描かれたコロンビア製アクション映画。

普通、こうやって娘を人質に取られ殺人を強要される主人公は、なんとか昔の仲間と折り合いをつけて対峙する展開が多いが、この主人公ラミレスは娘の命のためなら、多少は躊躇するものの、結構あっさり昔の仲間を殺してしまう。

中にはラミレスに甲斐甲斐しく世話してくれる親友のような仲間さえいるのに、そんな仲間も殺してしまう。

確かに後で仲間を殺した悲しみから泣きはするのだが、愛する娘の命を守るためなら、人殺しをなんとも思っていないサイコパス感が露出している。

つまり娘の命を守る任務のためには、ラミレスが平気で仲間を殺せる非情なその残虐さの中に、かってデビルと呼ばれたゲリラ時代にラミレスがやっていた、任務のための非情な殺人行為のサイコパスぶりが透けて見えてくるのだ。

復讐者はこのサイコパスな殺人マシーンぶりをこそ憎んでいるのではないかと思えてくる。

デビルに狙われた警察官の元仲間もかな
り狡猾な人間で、寧ろ最初は残虐に見えた復讐者やその妹の方が人間的に見えてくる。

たぶん映画の本当の主役はこの復讐者の妹であり、ラミレス=デビルも復讐者も、戦争などの殺戮の連鎖の中で人間性を失い、サイコパスのように殺人が平気になってしまった異常者として暗喩的に描かれているのだろう。

だから、デビルがいかに娘の命を守ろうとしているとはいえ、やはりサイコパスな殺戮者として描かれているようで、この映画の紹介文にあるような「娘の命を守るために暗黒世界に立ち向かう、汚れたヒーローを描いたアクション映画」としてなど、主人公も映画も描かれていないし、そのように正当化されてもいないだろう。

もちろん、元ゲリラの警察官も復讐者も正当化されていない。

謂わば報復の連鎖のようなテロや戦争における、殺戮者と殺戮者の殺し合いに、正義も大義もありはしない、そんなものはただの殺し合いであり、その連鎖の虚しさと残酷をこそ諷刺的かつ暗喩的に描いている、かなり社会派で意味深なアクション映画だろう。

そんな社会派問題作のような、深い視点で描かれている佳作な活劇映画の一篇。
2016/07/30(土) 01:08:57 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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