0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

追悼 マイケル・チミノ




マイケル・チミノ監督が亡くなった。

映画監督としては世界的な超本格派の巨匠であり、映画的にかなり真っ当な名監督だった。

近年のアメリカ映画は、トニー・スコットとマイケル・チミノという、二人の、映画にとってかなり重要な真の巨匠を失ってしまったわけである。

つまり映画というものを、映画的運動の魅惑を通して描き得る、<モーションピクチャーとしての映画原理>にダイレクトに根ざした倫理を貫徹している、得難い本物の映画作家を二人も失ったということである。

世間的には「ディア・ハンター」の人であり、「天国の門」で大失敗した監督という印象かもしれないが、自分にはまず「ダーティハリー2」の脚本家である。

そして、イーストウッド主演の「サンダーボルト」にとても充実した映画的風土を感じた。

あの映画はイーストウッド、ジェフ・ブリッジス、ジョージ・ケネディというキャスティングも良かったが、やはり簡潔に描かれた展開の面白さや、映画としての運動が物語や人物関係を制御していく魅惑があった。

「ディア・ハンター」は社会派戦争映画やニューシネマの名残りのような点が高く評価されているが、はっきり言って映画としての魅力は、「サンダーボルト」や、失敗作と言われた「天国の門」他の、後の作品の方が上ではないかと思う。

「天国の門」などまるでベルナルド・ベルトリッチ映画を想起させるほどで、随所にダイナミックな映画的運動感が漲っていた。

とは言え、「ディア・ハンター」は、ロバート・デ・ニーロだけじゃなくクリストファー・ウォーケンの存在感や、ロシアンルーレットの場面の緊迫感などにはヒリヒリするようなリアリティーがあり、こちらも中々の佳作ではあった。

大味なタッチではあるが、それがアクション映画としてのワイルドな魅力にもなった「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」なども良かったが、やはり名作「シシリアン」が実に見事であった。

まるで映画全土が、こういう言い方は、陳腐に聞こえるかもしれないが、まさに映画原理的叙事詩そのもののような、最初から最後まで、まるで映画そのものの塊のような作品だった。

初めて観た時、そのあまりの剥き出しの映画原理的叙事詩ぶりに、物語にまで気持ちが行かなくなり、さっぱりお話がわからなかったほどの、映画そのものの塊の連続体だった。(結局二回目の鑑賞で、物語をちゃんと理解した)

これは本当に映画史に残るべく偉大な傑作である。

ウィリアム・ワイラーの「 必死の逃亡者」をリメイクした「逃亡者」は、チミノ作品にしてはちょっと雑な出来だなと思ったが、しかしロードムーヴィーのような「心の指紋」には、これまた映画原理的な運動感が全編を貫徹しており、ほとんどアッバス・キアロスタミの映画を想起させるような、これも映画そのものの塊のような秀作だった。

実に偉大な監督を亡くしたものである。

マイケル・チミノさん、ご冥福をお祈り致します。















2016/07/05(火) 04:18:21 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)

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