0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「海街diary」




是枝裕和「海街diary」再見、

鎌倉で暮らす三姉妹、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆のところに、幼少時に離婚し家を出て行った父の訃報が届き、綾瀬の頼みで長澤と夏帆は葬儀に出る。

父に長年会ってなくて思いの薄い長澤や、生前の父のことをよく知らない夏帆であったが、しばらくして綾瀬も葬儀に顔を出す。

そこで三人は異母妹の広瀬すずに出会う。

広瀬はすでに実母を亡くしており、父の再々婚相手の家族と暮らしていたため、三姉妹は鎌倉で一緒に暮らそうと広瀬に提案し、しばらくしてから一緒に暮らし始める。

しかし広瀬は両親や自分の出生に関して負い目を感じていて、自分の母の話を三姉妹にはあまりしなかった。






吉田秋生の原作漫画を映画化した作品。

この映画は、牧歌的な印象から、最初ナメて観ていると不意打ちを食らう映画だ。

前半は、いかにも東宝アイドル女優の三姉妹による、昔の「欽ちゃんのどこまでやるの!?」かよと言いたくなるような、ヌルい笑顔一杯の、まるでわらべの茶番コント芝居みたいなのが延々続き、冒頭は長澤まさみのセクシーショットから始まるものの、その長澤とて、いかにも東宝的な品の良さのアイドル的セクシーを是枝の計算によって制御されており、なんともわざとらしさ満点の「欽どこ」風家族コントな東宝アイドル茶番映画を観ているような気分となり、うんざりさせられる。

映画中盤になっても、お話は進行し小さく展開するものの、タッチは大して変わらず、ショットセンスには定評のある是枝裕和にしては、妙に凡庸なスタイリッシュさで鎌倉の自然や風景を切り取っているところにもイマイチ感を覚え、とてもいい映画などとは言い難く思え、いよいよ辟易してくる。

しかしながら、映画が折り返し地点を迎えた辺りで、それまで退屈に感じた、アイドル女優の笑顔笑顔ばかりの「欽どこ」家族コント風のわざとらしい茶番さが、かなり意図的な演出によるものだとだんだん判明してくる。

何故ならこの映画は全篇そのタッチで押し切ってしまうからである。

そこから徐々に感じられるものには微妙な差異が生まれ、三姉妹や広瀬すずの無意識的な実像や内に秘めた切実な思いが、仄かに、しかし意外と強く伝播してくるのだ。

実は一見、三姉妹の中のトラブルメイカー的存在で、男や酒にだらしない様をわざとらしいセクシーアイドル芝居で演じているだけに見えた長澤まさみこそが、三姉妹の和というものを一番重んじ、誰よりも他人のために尽力する存在であることが発覚していく。

そして最も厳格な三姉妹のまとめ役に見えた優等生的長女の綾瀬はるかこそが、両親の犯した不倫による家庭崩壊劇を反復してしまう可能性が最も高い存在であることがわかる。

そこから、娘を裏切るように三姉妹とは離れて暮らす母・大竹しのぶと綾瀬の骨肉の諍いも、ただの気の合わない母娘の喧嘩ではない意味深さが浮上してくる。

そして、延々笑顔とアイドルコミカル芝居で脇を締めているだけに見えた三女の夏帆が、何故姉の長澤に「あいつ(夏帆)の趣味はよくわからん」と言わしめるほど、年の離れた中年男の池田貴史(レキシ)と付き合っているのか?の切実な真相も伝わってくる。

あまり生前の父のことを知らない夏帆は、父と暮らしていた異母妹の広瀬すずに父が釣りが好きだった話を聞くと、かなりしばらくしてから池田を控え目に釣りに誘うのだが、たぶん夏帆は年の離れた恋人である池田に、接する機会のなかった生前の父への切実な憧憬を見ているのだろうことが微かに感じられる。

しかし、そうした三姉妹の無意識的な実像や切実な胸の内が、台詞で語られることは全くない。

それどころか、この映画は、明確な描写すらしていないのだ。

だが映画が終盤になると、様々に錯綜した事情から居場所の無さに苦しんでいる広瀬すずの苦しい胸の内(これには例外的に台詞による表現がある)だけでなく、三姉妹の無意識的な実像や切実な胸の内もがよく伝わってくる映画になっているのだ。

つまりこの映画は「描写せずして描写する」などという絶妙かつ高度な語り技を見せている映画なのだ。

そんなことをかってやっていた映画監督は、間違いなく、あの小津安二郎である。

小津も、ボサーっと映画を眺めているだけの観客には、ただ何も起こらない日常を素描しているだけの家族映画にしか見えないかもしれないが、「描写せずして描写」することで、登場人物の切実な胸の内や残酷な人生の現実をそこはかとなく、だが意外と強烈に伝播してくる高度な映画を撮っていた。

小津が住んでいた鎌倉が舞台だったり、古い日本家屋が映し出されること以上に、この映画は「描写せずして描写する」という点において小津ににじり寄った映画だと思う。

この「描写せずして描写する」という描き方は、近年では黒沢清が傑作「トウキョウ・ソナタ」にて成し得、小津映画ににじり寄っていたが、是枝裕和は一見ダサダサにわざとらしい「欽どこ」的アイドル茶番家庭コント映画のように見せておいて、見事にそうした域に到達した映画を実現している。

そんな中々に大した秀作映画である一篇。



2016/05/24(火) 00:05:48 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

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