0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「バーニング・ブライト」




カルロス・ブルックス「バーニング・ブライト」再見、

大学進学が決まったブリアナ・エヴィガンは自閉症の弟をケア施設に預けようとするが、そのためのお金である死んだ母の遺産を、シベリアンタイガーを買って儲けようとする継父・ギャレット・ディラハントに使われてしまう。

ギャレットはトラの入った檻を家の中に置いて出掛けるが、その夜、空腹のトラが檻から出てきて姉弟を襲う。

外は大型ハリケーン接近のため、窓も扉も外から塞がれており、姉弟は閉じ込められた状態でトラから逃げ回るが。




密室となった家の中に、凶暴なトラが入り込んでくるシチュエーション動物パニックスリラー映画。

CGを使わず、本物のトラを使ってリアルに撮影している作品だが、この映画は凡百の駄作も多い動物パニック映画の中において、例外的なほどの傑作映画である。

大方のこの手の動物パニック映画は、弟が自閉症だとかヒロインの抱える事情はパニックスリラーのお膳立てにすぎないことが多いが、この映画はまるで違う。

密室の極限状況に追い込まれつつ、言うことを聞かない自閉症の弟を守り、傷だらけで飢えたトラと闘う姉ブリアナは、逞しく闘っているというより、その責任感の強さや真面目な誠実さや倫理感の矜持という内面の力でトラと闘っていることがよくわかるからだ。

ブリアナは、自閉症の弟の世話の大変さから弟を殺したくなる衝動すら秘めつつも、色々な問題を一人で抱え込んでいる。

責任感が強く、真面目で誠実であるがゆえに、狡猾な継父に不遇な目に遭って生活しており、謂わば人間としての美点のために、人生自体に追い詰められている。

この映画のトラとの闘いという状況は、まるで人間としての美点から極限状態に追い詰められた人生を送るブリアナが、キツイ状況においても、いかにその責任感の強さや思いやり、誠実な真面目さや倫理感などの内面の力を捨てずに闘い抜くかの暗喩ではないかと思う。

つまり動物パニック映画で凶暴なトラと対決する女性の姿が、そのまま彼女が不遇かつ理不尽な極限状態の人生と闘っている姿であることを明確に描き切れているということだ。

元々多くの良心的な作り手による動物パニック映画は、人間ドラマのテーマとしてそういうものを内在してはいるが、しかしながらその大方は、それをお約束的な前提やシチュエーションとしてしか描けていないことの方が圧倒的に多い。

しかしこの映画は、動物パニック映画が、そのまま一人の女性の極限状態の人生との格闘映画になっていて、なんとも見事である。

これは脚本のクリスティーン・コイル・ジョンソンとジュリー・プレンディヴィル・ルーが秀逸なのだろうが、監督のカルロス・ブルックスは、前にここで評を書いた異色作「ギプスの女」のような作品を作る人だから、やはり単なる動物パニック映画ではなく、キツイ状況を生きる女性の内面の力を重視して描いており、そこが凡百の駄作も多い動物パニック映画の中において、”掃き溜めに鶴”ぐらいの秀逸さとなっていることの所以かもしれぬ。

トラのリアルな動きにこだわっているのも、リアルな人生との闘いを描いているがゆえのものだろう。

そんな見事な、動物パニック映画の理想形のような得難い傑作な一篇。


2016/04/05(火) 02:46:58 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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