0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「復讐性犯罪 白濁レイプ」

小林悟「復讐性犯罪 白濁レイプ」、

二人の男子学生は、10年前、女子学生の大鷹小百合を清純アイドルのように崇拝していたが、大鷹が彼氏と森の中で性交しているところを目撃して興奮し、彼女をレイプしてしまう。
その後大鷹はその様子を覗いていた港雄一にもレイプされる。

罪悪感にさいなまれた二人はその後会わなくなったが、大鷹は自殺していた。

悩んだ末に久々に再会した二人は過去の罪を振り返るが、その後一方の男の妹・西野奈々美がセーラー服姿の男にレイプされる。

二人は10年前の事件との関係を思い、当時の大鷹の彼氏を疑い出す。




90年代半ば頃のピンク映画。

ピンク映画黎明期に、新東宝の監督からピンク映画第一号を作った大御所監督、小林悟の作ではあるが、しかしながら当時新鋭監督として台頭してきたピンク四天王監督、瀬々敬久や佐野和宏、サトウトシキ、佐藤寿保の作品とも双璧を成すほどにエッジの効いた映画になっている。

特に若き佐藤寿保作品と作風からしていい勝負をしており、老いて尚、野心作を撮っていた小林悟の底力すら感じさせる。

途中までは復讐レイプものによくある筋立てで展開し、定番パターンのサスペンスピンク映画を思わせるのだが、中盤からサイコな狂った復讐譚の様相を見せ始める。

そしてサイコパスのような存在の狂った復讐動機=復讐論理が明らかになってからは、映画自体がほとんどサイコホラー映画と化していく。

最初からサイコホラー風のピンク映画なのではなく、途中まで復讐レイプものにありがちなサスペンスピンクだったのに、サイコパスな存在の狂った復讐動機=復讐論理の発覚によって、サイコホラー映画に生成変化してしまうところが秀逸である。

しかしこの映画は、まだそれで終わらないのだ。

ラストシーンに示されるのは、これがただのサイコパスを描いた映画ではないという真相である。

ラストにサイコパスな存在が凶行に及ぶ姿を見た男は、そこにある姿を目撃することになる。

つまりサイコパスの狂った復讐論理は、ある種のマニュピレーションによって生まれたものだったのである。

それによって、ラスト、実は復讐的殺戮や凶行を行なっていた真犯人すら違っていたことがわかり、サイコパスな狂った復讐論理の上に、別の怨念的復讐論理が上書きされている、言わば二重の復讐論理の実態が見えてくる。

そして、このラストのための伏線が、実は先にきっちり張られていたこともそこで発覚する。

たぶん、この伏線は、大鷹が過去、二人の男子学生にレイプされたところから張られていると思う。

ひょっとしたら、レイプされる憧れのマドンナ的女子学生役を、大鷹小百合のような透明感のある個性の女優が演じているところすら伏線ではないのか?と思えてくるほどである。

その意味では、この作品はサイコホラー映画としてもミステリ映画としても中々の野心作だと思う。

元々大蔵怪談映画で鳴らした小林悟らしい作風とも言えるが、如月吹雪の脚本の秀逸さがそれをさらにエッジの効いた作品に高めている、中々に秀作な一篇。
2016/02/09(火) 00:07:25 その他 トラックバック:0 コメント(-)

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