0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

追悼 ジャック・リヴェット




ジャック・リヴェット監督が亡くなった。

ヌーヴェルヴァーグの監督らしく、映画批評家出身の映画監督だが、「美しき諍い女」がカンヌで受賞し、日本で公開されるまでは、ヌーヴェルヴァーグ一派の監督の中では日本で最もマイナーな存在にして、呪われた映画作家とまで言われていた。

その後は新作、旧作が公開されるようになったのだが、やはり呪われた映画作家と呼ばれていたことの根幹は、13時間の「アウト・ワン スペクトル」を引き合いに出すまでもなく、その映画作中に溢れ返る過度な映画的運動の不均衡感である。

ヌーヴェルヴァーグ一派の監督はトリュフォーもゴダールも映画的運動に過度に執着していたが、リヴェット作品はその過度な映画的運動への執着ゆえに、作品や物語が崩壊しそうになる危うさをよく感じさせるところがあった。

それでも一番好きな「修道女」などは、ドラマ的な醍醐味を高めることに過度な映画的運動への執着が機能的なまでに貢献していた。

映画的運動への過度な執着が、ドラマ自体の醍醐味も教会の暗部への批判精神をも相乗的に高めていた。

世間では一番受けが良いのだろう「美しき諍い女」などでは、その映画的運動は映画自体のテイストや世界観を、まとまりすぎているきらいもあるが、うまく創出することにまで貢献していたと思う。

「ジャンヌ」二部作になると、物語を語ることと映画的運動への執着の板挟みになっているような半端さを感じさせ、そう面白い出来とも言い難かったが、しかしこういう失敗作に思えるような映画にリヴェットらしい困惑の痕が感じられたりもした。

だが「セリーヌとジュリーは舟でゆく」は、そういう意味では、過度な映画的運動への執着から生まれた稀有なまでに美しいシーンが随所に煌いて明滅し、とても物語を普通に語ろうとしているようには見えないのに、ちゃんと見れてしまうという不思議な作品であった。

わりと後期の「パリでかくれんぼ」や「恋ごころ」などは、ダンスシーンだとかアクションシーンのようなエンタメ映画的要素の描写にリヴェットらしい映画的運動への執着を見せているように見えた。

映画的持続としてのアクションやダンスが、ギリギリ長すぎなかったり、あるいは不均衡なまでに長すぎたりのそのせめぎ合いが、個人的には少し面白かった。

これは娯楽映画的醍醐味とも物語的醍醐味とも、はたまた活劇的迫力の醍醐味とも違う、実にリヴェットらしい娯楽映画的場面と映画的運動の持続の長さのせめぎ合い的醍醐味とでも言うべきものであろう。

そんなヌーヴェルヴァーグ精神に満ちた映画作家だった。

ジャック・リヴェットさん、ご冥福をお祈り致します。




2016/02/02(火) 00:14:23 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)

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