0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「シャークトパスVSプテラクーダ」




ケヴィン・オニール「シャークトパスVSプテラクーダ」、

数年前に現れた人食いザメと大型タコの合体生物シャークトパスの暴走が収まり、平和になったサンタモニカビーチだったが、空中から新たなモンスターが現れ人間を殺す。

だがこれはアメリカ軍が空飛ぶ恐竜プテラノドンとバラクーダを合体させて作った軍事生物兵器プテラクーダだった。

プテラクーダの殺戮が制御出来なくなったため、国防総省はシャークトパスと戦わせることにする。






ロジャー・コーマン製作の、合体生物兵器のモンスターが対決するB級モンスターパニック映画シリーズの二作目。

時代がどれだけ変わり、技術がどれだけ進歩してもロジャー・コーマンのやってることは大して変わらんなと思わせる(苦笑)映画。

しかしあまりに脚本がこの手にありがちな安さなのが残念ではあるものの、シャークトパスとプテラクーダのスプラッタなバラバラ殺戮シーンはこちらも安いとは言えそう悪くない。

人間の生活空間や人間の身体と同じ土壌にいて連続性のある着ぐるみ怪獣がバラバラにするのではなく、まさに兵器として作られた人工生物にしてバーチャル空間で生まれたCGモンスターという非連続的なものが人体をバラバラにする描写にわりと鋭利なデジタルセンスがあり、それをあくまでスプラッタな人体バラバラギャグみたいにお笑いチックに描いているところには三池崇史的センスも感じられる。



だからもうちょい脚本が良かったら、これはこれで特異な秀作になったかもとは思わせる。



主役の美人女優のケイティ・サヴォイにも妙なスター性が感じられるし、モタついた脚本のわりには映像的なテンポは軽快で、ケヴィン・オニールはセンスはわりといいと思う。

これだけの軽快かつドライな非連続的デジタルスプラッタセンスがあるなら、せっかく人間以上に知性の高いシャークトパスのその知性の高さにクローズアップして描けば、あくまで戦術や知性で人間がとことんシャークトパスに追い詰められた挙句、軽快に多くの人体が軽々しくバラバラにされまくるという救いようのない残酷喜劇にも出来たろう。



またプテラクーダの動きがかなりいいので、どれだけ人間が隠れても生物兵器の探索能力で見つけだされてバラバラにされるとか、テロリスト国家がプテラクーダをテロ兵器としてドローンのように使って集団バラバラ殺戮テロをやるとか、そういう現実の殺戮事件と関連させるリアリティーだって狙えたはずだが、福島の原子力発電所を狙ってるなんて話まで出てくるわりにイマイチである。

ロジャー・コーマンは相変わらずの長閑なB級モンスターパニック映画を作っていたいだけなのかもしれんが、この生物兵器映画のジャンルには映画の規模の大小に関わらず、かなり「ダークナイト」的なヤバさの傑作が狙える可能性が見え隠れしているだけに、観ながら何度も歯がゆい思いをした。

脚本だけ手を抜かず、ちゃんとしたものにすれば、このぐらいの予算と技術とセンスで十分今の時代のヤバさを描いた問題作が作れるように思えるだけに、ひたすら惜しい一篇。






2015/12/08(火) 01:10:08 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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