0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「ALWAYS 三丁目の夕日'64」




山崎貴「ALWAYS 三丁目の夕日'64」再見

堀北真希は堤真一の工務店で働いていたが、ある時医師の森山未来と出会う。

二人は惹かれ合いデートするようになるが、森山がいかがわしい場所に出入りしているという噂が流れ、周りは堀北のことを心配し始める。

その頃作家として仕事する吉岡秀隆はライバル小説が出てきて焦っていたが、そのライバル小説の作者は意外な人物だった。




三丁目の夕日シリーズの三作目。

堀北真希の話がメインのような内容だが、すでに色々な役を演じるようになっても堀北にはこのシリーズのロクちゃん役がぴったりなのでわりとスッキリまとまっているようには見える。

吉岡の挿話も一作目の反復っぽいが、まあこんな感じだろうという、三丁目の夕日らしいまとまり方をしている。

だがこのらしいまとまり方というのが曲者で、それ故に映画っぽく撮っているようには見えるのに、終始見え透いたいい話をやってれば観客は泣くだろう、というマーケティング通りのものにしかなっておらず、どこかテレビの泣けるバラエティ番組みたいな安いありがちさをシリーズ中一番感じさせるものになってしまっている。

三丁目のファンも観客も満足する人はするものにはなっているような気がするが、しかしながらなんとなく、いよいよ三丁目の夕日も、昨今の涙を流すとデトックス効果があるので美容と健康にいいから泣ける映像を見ようという、映画に感動することが美容という目的のための手段になっている商売にだけ打ってつけのシリーズになってきたなと思えてくるところがある。

まあ最初からそういうシリーズだったと言えばそうかもしれんが、その美容と健康のためのデトックス効果のために映画を見て泣くという手段=アイテム化がこの三作目で最も顕著になったなと思える。

その意味で、このシリーズやこの三作目は、人間の感動とか感激の涙なんてものはもはや全く崇高なものではなく、そのぐらいシステム化された生物学的生存のための一手段でしかないということを客観視せよということを訴えているようにすら思えてくる。

そういうサウナに発汗作用があるというのと同じ次元で、安いありきたりな泣ける映画には涙を流すという美容と健康にいいデトックス効果があるということだけが涼しい顔して目的化されているような、無表情なシステム感が顕著な一篇。










2015/06/23(火) 00:07:25 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

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