0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「真夏の方程式」




西谷弘「真夏の方程式」再見、

湯川博士=福山雅治は開発資源発掘のアドバイザーとして海の町へ行くが地元反対者の代表の杏の親が営む旅館に泊まるもその地で元刑事が殺される。

事件には旅館一家が関わる過去の事件が関係していた。




東野圭吾原作の「ガリレオ」シリーズ劇場版的作品。

この作品も前の「容疑者Xの献身」もそうだが、純愛美談や家族愛の殺人のためならば、そのために犠牲者が出てもそれは仕方ないとする態度=解釈が実に疑問である。

しかも福山はともかく、警察の人間が真相を知っていてちゃんと解決しないというのはおかしい。

どれだけ美談でも事実を追求して終わるのが刑事ものだと思うし、過去の事件の殺人にも必然性が無さ過ぎる。

その状況に何の罪もないのにまたある人物が巻きこまれているが、最後福山はその人物に一緒に悩もうと言うのである。

どれだけ美談な家族愛故の殺人だろうがそれに非情に利用された人物が何でそんな真夏の方程式に悩まくちゃいかんのか?

つまり前作に続いて純愛美談や家族愛美談の前では、利用された者は非情に犠牲になるべしというおかしな規則があるのだ。

そんなものには到底納得出来ない、懐疑的な一篇。 2014/06/24(火) 02:12:05 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://shoheinarumi.blog18.fc2.com/tb.php/1533-90b59540