0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「ニキータ」

 リュック・ベッソン「ニキータ」再見、

 
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(2005/10/21)
アンヌ・パリロー、ジャン=ユーグ・アングラード 他

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 アンヌ・パリローは若者のヤク中たちの売買の現場にいたが警官との銃撃戦の中一人だけ生き残る。

 その後男名のニキータと呼ばれる彼女は終身刑となるが、ある時秘密警察を名乗る男がやって来て、暗殺者としての訓練を受けるかそれとも死ぬか選択しろと言われる。

 反抗するも暗殺者の訓練を受けたニキータはコードネームを与えられパリの街に別人として潜伏することになる。





 未だにテレビドラマなどでシリーズ化されている女アサシンを描いた映画。

 しかしまあ思い切りつまらない映画ではないものの、この映画はどうにも好きになれない。

 何故ならニキータが暗殺者になってからも厳しくプロに徹しないが故に、彼女と組んだプロたちが後半皆ニキータのせいで死んでしまうからである。

 だがリュック・ベッソンはここでニキータの甘さがいかにはた迷惑なものかよりも、ニキータの感傷の方ばかり描いているのである。

 それで泣き虫ニキータだの言ってそれをキャッチフレーズみたいにしてやがるのである。

 これはおよそプロの殺し屋映画史上許すべからざる描写である。

 と同時にこのような感傷優先の殺し屋映画自体も全て撲滅してやりたいところである。

 はっきり言って、この一作でリュック・ベッソンには大きな違和感を持ったし、こんなニキータのはた迷惑なだけで感傷的になっている姿が好きなこの映画のファンはどういうつもりなのだと、と封切りで見た時疑問に思ったものだが、今でもそう思う。

 組んでいる仲間だって命賭けなのだ。

 ニキータより背負ってるものや抱えている家族だっていたかもしれない。

 しかしそんなプロたちがニキータの幼稚な感傷のために、プロに徹していたのに死んでしまったことより、リュック・ベッソンはそれを無視してニキータの感傷の方ばかり可哀想がってやがるのである。

 そしてこの映画のファンも、そんな幼稚な感傷を、死んでしまった仲間のプロに徹していた故の死を無視して大好きで、泣き虫ニキータだの言って喜んでいるのである。

 こんな殺し屋映画は死ぬまで絶対に許してはいけないし、許すつもりは毛頭ない。

 いくら設定がわかりやすくてテレビシリーズになり、未だに人気のある作品であろうと、泣き虫ニキータなんぞ断固許してはいけない。

 プロの殺し屋が大甘なことをやって周りに迷惑かけても、感傷的になってたら「泣き虫ニキータ」と言われて人気が出たなどという、この歴史的事実自体を断固撲滅してやりたい映画である。

そんな許し難い、とても好きにはなれない一篇。

2013/06/21(金) 14:36:54 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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