0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「テルマエ・ロマエ」

 
テルマエ・ロマエ 通常盤 [DVD]テルマエ・ロマエ 通常盤 [DVD]
(2012/11/23)
阿部寛、上戸彩 他

詳細を見る


 武内英樹「テルマエ・ロマエ」再見、

 西暦130年頃の古代ローマで、浴場設計士のルティウス=阿部寛は設計が古いと言われて失業していたが、ある時賑やかな浴場で斬新なアイデアを考えているうちに排水口に吸い込まれ、何故か現代日本の銭湯にタイムスリップしてしまう。

 しかしそこでローマのテルマエ(浴場)を遥かに超えた技術を発見し驚愕となり、それまで日本人を平たい顔の奴隷と馬鹿にしていたのに日本の銭湯をパクリまくってローマのテルマエに生かし阿部は古代ローマで評価を上げていく。




 ヤマザキマリ原作漫画の映画化。

 今回は未公開シーンを含むノーカット版で見た。

 阿部寛のモノローグがうまく行っているので、コントチックに展開していくのが反復的なのにわりと面白く見られ、まあ大ヒットしたのも頷ける映画である。

 たぶんヒットしたのはテルマエの本場の古代ローマ人がとことん日本古来から現代に至るまでの浴場の技術を褒め上げてくれるので日本人観客は気持ち良かったからじゃないかとも思うが、まあそういう意味ではかなり日本人讃の映画だろう。

 しかし日本映画の名作と言われる映画は、昔からだいたい日本人社会のマイナス面である社会問題ばかり追求すれば傑作と呼ばれてしまう傾向=方程式があるが、それとは真逆の日本の描き方をしたことによってエンターテイメント映画として好感を持たれたようにも思う。

 そのことによって、日本人がいかに世界的に見れば恵まれた国に生きているかということをも外国人による外からの視点によって伝えており、名作と呼ばれる社会問題を描いた日本映画が、得てして日本の誰でも知ってるようなネガティブな問題点さえ描けば傑作と呼ばれてしまう安易な方程式に胡座をかいていることの怠慢さをも感じさせてくれるところがあり、そこには批評性すら感じる。

 たとえば最近の瀬々敬久の映画は、傑作だと思いつつも、視点転倒しまくるわりには妙に視野の狭い映画だな、どれだけ視点を変えてもどれも同じような物の見方にすぎないじゃないかと思うことが多いが、本当はこういう映画と瀬々の映画の両方を同時に見ることが「違う視点から物を見る」ということではないかと思う。

 かねてから日本映画の社会問題の傑作は、ほぼここでの銭湯の機能性や技術的素晴らしさのようなものは描かないし、描いても時代錯誤な側からの感傷ばかりを煽っていることが多い。

 また最新の便利機能に対してもいたずらに批判的に描くばかりで、あまりにも視野が狭いことに懐疑的だったので、こういう映画が昨年当たったことにやはり批判性を感じる。

 まあそれでも面白く出来てなければ当たるのは難しかったと思うが、映画っぽい味わいはエキストラが大量に出てるシーンくらいで後はちょっとスカスカっぽい画面ではあるが、それでも飽きさせず見せるところは巧い。

 また異文化交流映画らしく、日本人の精神性とローマ人の精神性の両方の良いところと悪いところを交錯させて語っているところもあり、その辺の内面ドラマはちょっと軽い描写しかないものの、まあまあまとまっている。

 竹内力や勝矢も脇で好演しており、ローマ人の設定ではあるが日本人が日本語吹き替えの古代ローマ人と会話するシーンの出鱈目さが、かっての東映の外人出演映画「ゴルゴ13 九頭竜の首」とか東映特撮SFの出鱈目感を想起させてちょっと懐かしい、そんな中々秀作な一篇。
2013/04/21(日) 12:51:53 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://shoheinarumi.blog18.fc2.com/tb.php/1318-37131240