0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「ルーム666」

 ヴィム・ヴェンダース「ルーム666」再見、

 1982年にヴィム・ヴェンダースが多くの世界の映画監督たちに、今や映画の美的価値が失われ、テレビ映像の価値感に浸食されているのではないか・・・という質問をし、それにある一室でカメラの前で監督たちが答える映画。

 まずジャン・リュック・ゴダールがわりと長めに語るが、ゴダールは映画だけに執着するような態度は見せず、実に冷静に状況を分析するが、最後に映画は目に見えないものを映し出すところが面白いと語る。

 いささか宗教じみてはいるが、ゴダールはだからこそ今も古典映画マニアには嫌われる3D映画に取り組む誰よりも古典映画的な作家であり、たぶんこのゴダールの言い方を宗教的誤解を排すように言い直されたのが蓮實重彦の「魂の唯物論的擁護」という言い方だろうと思われる。

 だが監督によって解釈は千差万別で、モンテ・ヘルマンはこの時期「映画館で映画は最近見なくなり、ビデオで好きな映画ばかり選んで見ている。新作はつまらないのが多いから別にそれでいい」と言うし、ポール・モリセイはテレビの方が映画よりキャラ立ちを重視しているから面白いと言う。

 このキャラ立ちの話は、今のテレビだけでなくアニメや娯楽小説の人気を分ける要素にもなっているので、キャラ立ちを優先する者はどうもテレビ方面を擁護する感じになっている。

 だがヘルツオークは映画とテレビは違いすぎるので自分は最後の最後まで映画の側にいると断言するし、スピルバーグは世界の経済的状況と映画の関係を語りながらも、あくまで楽観的に考えていると語り、それは自分たちが映画撮るしか能がないからだと語る。

 スピルバーグも今でも一見古典映画とは正反対にも見える3DCG映画を撮ったりしつつも、そこに映画がちゃんとあったりする珍しいタイプだが、それはやはり「映画を撮るしか能がない」と断言する者の強さだとも思う。

 アントニオーニは古典映画的価値観に依拠している自身を語りつつも、新しいビデオ映画のアプローチも辞さないと語っている。

 最後に国家的事情から部屋に来れなかったトルコの監督、ユルマズ・ギュネイの声が流れるが、芸術的価値と大衆の欲求の両方を加味すべきなのが映画だと語りつつ、社会批判や規範の範疇を出るとすぐに摘発される(おそらく自身の)不自由さについても言及しているが、この問題は今も簡単にはかたずいていない。

 ヴェンダースのいささか映画擁護的な誘発的質問に対しても、それぞれがそんな誘発に安易には乗らず、全く違う個人的見解をあくまで堂々語るところがいい一篇。


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2013/01/22(火) 13:56:39 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

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