0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「中国の鳥人」

 
中国の鳥人 [DVD]中国の鳥人 [DVD]
(2004/02/26)
本木雅弘

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 三池崇史「中国の鳥人」再見、

 商社マンの本木雅弘は、入院した同僚の代りによくわからない翡翠の輸入のため中国の雲南省へ出張する。
 
 だが現地に着くと会社に貸しがあるとか言ってくるヤクザの石橋蓮司がやってきて同行してくる。

 石橋は翡翠の鉱脈取引を見張ろうと思っていた。

 現地案内人のマコ岩松と3人で小さな村へと旅することになるが、途中にはアクシデントも多々あり旅は難航する。

 しかも幻覚を起こすキノコを食べたため案内人の岩松が記憶喪失になる。

 その後に村に到着するが、そこで飛ぶことを教えるという鳥人学校をみつける。

 その学校で子供らに飛び方を教えていたのは、本人もまだ飛んだことがない、ある美少女だった。



 
 

 椎名誠の原作を映画化した不思議な旅を描いた映画。

 椎名原作らしい自然破壊への忸怩たる思いが出ている映画で、村に着くまでも着いてからも奇妙な事態が巻き起こるが、どちらかと言うと映画の魅力はその自然を捉えた映像の、その捉え方にあるように思う。

 本木や石橋が旅をしている最中も、鳥人学校の話になってからも、映画は絶えず自然を中庸に撮り得ている。

 自然と文明という対立事項や、空を飛ぶという人間の夢と現実の狭間にこそ人間の人生がある・・とでも言わんばかりに、自然と対峙する人間や、その自然自体の光景が絶えず中庸的な映像で捉えられているのはかなり秀逸である。

 一応蛇行する物語展開もあるし、テーマもちゃんとある映画だが、それでもこの映像の中庸さの空間性が、人間や世界を中庸にありのまま捉えているようで、その空間性の魅力が顕著である。

 大自然を神的な崇高なものと捉えるのは、実はそれを崇拝する人間の主観である。

 文明に破壊される自然という風に捉えるのも、一見現実直視の視点なようで社会的な主観によるものであることが多い。

 しかしそうではなく、自然も人間もどちらも対等にその中間を中庸に捉える映像でこの映画はほとんどの場面が描かれている。

 それが役者陣の好演や、物語やテーマ以上に秀逸であるような中々異色な映画である。

 この頃の三池映画の映像にはまるで候孝賢映画のような「大阪最強伝説 喧嘩の花道」他そういう
中庸視点の映画があったが、またこんな映画も三池に撮ってほしいなと思わす秀作な一篇。



2013/01/06(日) 14:55:20 その他 トラックバック:0 コメント(-)

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