0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「泣蟲小僧」

 豊田四郎「泣蟲小僧」、

 少年は父がおらず母と暮らしていたが、そこに母の新しい愛人が入り込み、母親はこの男との生活をメインにしたいため少年をやたらと邪険に扱う。

 子供を妹たちの家にたらい回しにして世話をさせたりするが、しかしその妹たちだって生活には困窮していたものの少年にはずいぶん親切にしてくれる。

 少年は母親のあまりに冷たい仕打ちに泣いたりしていたが、赤の他人の尺八吹きのおじさんに励まされ元気に生きていこうとするが、妹たちに母親らしくないと糾弾されても少年の母の態度は変わらず、その後も辛い思いをすることになる。



 

 林芙美子の原作を映画化した作品。

 明らかに今で言えば母親の子供に対するネグレクトの酷さを描いた映画である。

 母は新しい男にご執心で、そのため子供をないがしろにし、妹の家などに預けたりする。

 少年はその冷たさに泣いたりしていたが、励まされて徐々に泣かなくなるも、幾らなんでもこの母親のネグレクトは酷すぎるので、そりゃ泣くだろ、泣き蟲小僧でもなんでもねーだろ、泣かせてるこの身勝手な母親が完全に悪いだろと言いたくなるお話である。

 この母親は新しい男の仕事がうまく行かないとか貧乏のせいで子供を無視しているような顔をしているが、ただ単に男に狂ってるだけである。

 だって周りの妹たちだって生活に困窮しかなり苦労しているのに少年にはかなり優しくしてくれるし、田舎に妻子を残して尺八を吹いている男だって相当辛い生活をしているが少年に親身になってくれるのだから貧乏がネグレクトの言い訳にならないことは明確に描かれている。

 しかし少年はこれだけ親切にしてくれるよその人より、その冷たい母親の方を愛しているから問題は複雑である。

 実際、今のネグレクトに遭っている子供たちだって、きっとそういう複雑で悲しい事情を抱えているのではないかと思う。

 最後も母親は男について行って子供をよそに預けどこかへ行ってしまう。

 しかし少年は前よりは強くなっていて、辛い時は歌を歌えと尺八吹きの男に教えられたように歌を歌って自分だけを置いて行ってしまった母親たちがいなくなった誰もいない実家を後にする。

 確かにこの最後は少年はこれから強く生きていくだろう・・・という終わり方なんだろうが、それにしてもあまりにも酷い母親を描いた映画であることは伝わってくる。

 そしてこの昔の時代の親の残酷な仕打ちが、今の時代にもそっくり残っていて、未だ問題があんまり解決していないのだから、この映画はその意味では現代にも十分意義のある映画である。

 そんなに子供を悲惨っぽいキャラでは描かず、寧ろ可愛らしさもちゃんと出して描いているが、未だ解決しないネグレクトの酷さを糾弾しているような秀作な一篇。


泣き虫小僧・鰊漁場 (お風呂で読む文庫 62)泣き虫小僧・鰊漁場 (お風呂で読む文庫 62)
(2005/03/01)
林 芙美子、島木 健作 他

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2012/12/02(日) 14:05:14 東宝 トラックバック:0 コメント(-)

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