0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

「蜜に濡れる女」

蜜に濡れる女 [DVD]蜜に濡れる女 [DVD]
(2002/04/26)
青木祐子/中根徹/よしのまこと/ 山地美貴

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 廣木隆一「蜜に濡れる女」再見、

 中根徹は劇団員で芝居をやっていたが、青木祐子のモデルとHしていた。

 中根にはよしのまことの恋人がいるが、よしのは中根の生活力の無さから恋愛と結婚を分けて考えていて見合いをしてその相手と付き合う。

 青木はヌード写真やAV?の撮影を一緒にやった監督と出来て妊娠するが、堕胎する。

 その後いつも一緒にいる青木のマネージャーは青木と暮らそうと言い出す。


 

 廣木隆一ピンク映画時代の作品。

 冒頭の青木と中根の安い演劇じみた絡みのシーンのカッコつけた恥ずかしい馬鹿馬鹿しさには笑うが、しかしこれはドラマ全体への伏線になっていて、この映画は80年代の軽薄短小かつ入れ替え可能な恋愛模様や当時の演劇的な日常性というものが、芝居や映画などの虚構の中だけでなく、現実にもそれらと同じ切れ目のない非情さで演劇は連続していて、全てが演劇的日常にて完結していることを描いている。

 よしのは見合いすると明らかに結婚相手の前で演技しているし、その相貌はよしのが昔中根と出た自主映画の時と大して変わらなかったりする。

 青木とマネージャーの関係もどこか演劇的な関係であり続けている。

 だから冒頭の中根と青木のカッコつけた馬鹿馬鹿しい安い芝居じみた絡みのシーンは、全てこの日常を覆い尽くした演劇性を象徴するものであり、そのことを浮き彫りにするための強調的伏線であることが明確化していく。

 映画はこの冒頭のシーンが最後にも来て、そんな虚構的日常を生きていくことの宣言とも取れる絶望的な前向きさで終わっていくが、その徹底的な描き方が秀逸である。

 思えばこの映画の演劇的日常性を80年代の構造のように描いたミステリが後の乾くるみの怪作「イニシエーション・ラブ」だった。

 廣木隆一の広告的に美的な映像が、またこの演劇的虚構性の日常を皮肉に浮き上がらせているのも出色である。

 さて先日、俳優の田中実氏が自殺にて亡くなったが、役者としての仕事もほぼ順調、プライベートも安定的かつ充実していて、誰にもいい人と呼ばれ、家庭でもとてもいいお父さんだったような人が何で自殺を?と疑問に思ったが、それはひょっとして映画やドラマや舞台だけでなく、日常生活のプライベートも家庭でも全ては俳優・田中実としての(本物の役者としての)演技だったからでは・・・と想像してしまう。

 もし虚構の世界だけでなく、日常においてもどこでも「いい人俳優・田中実」として切れ目なく存在し続けたのだとしたら、それは友人の俳優・神保悟志が言うように(そういう意味では言ってないと思うが)、まさに「凄い役者」であり、言わば生涯「24時間いい人全身役者」だった、真の意味での「本物の役者魂の俳優」であったことになるのだが、この映画を見ているとそんなこともつい想像してしまう。

 そんな<本物の役者>が「あしたのジョー」の矢吹丈のように役者として真っ白に燃え尽きたのか、とも想像してしまう。(田中実さん、ご冥福をお祈り致します。)

 

 高原秀和の脚本も見事な、中々シニカルであると同時にラディカルなことを描いている秀作な一篇。
  2011/04/30(土) 13:58:43 その他 トラックバック:0 コメント(-)
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