0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『超高層プロフェッショナル』




スティーヴ・カーヴァー『超高層プロフェッショナル』再見、

ジョージ・ケネディの建設会社ボスは、高層ビルの鉄骨組み立ての期限が来ている時に転落死してしまう。

葬儀の後、娘のジェニファー・オニールは、3週間内に鉄骨を組立てなければならない状況の中で、父の後継者となり、現場監督を腕利きのリー・メジャースに頼もうと交渉に乗り出す。

承諾したリーは、昔仕事をした仲間を呼び集める。

だが、一方でケネディの弟は仕事を奪おうとして、リーやジェニファーが期限までに鉄骨を組み立てるのを完成させぬよう妨害してくる。

リーは妨害に対抗し、期限までに鉄骨を組立てようと奮闘するが、リー個人にはある問題があった。





1970年代末に作られた、ウェルメイドなガテン系建築アクション映画。

初見はスプラシュ上映の添え物映画として劇場公開された時だが、当時を代表する、所謂拾い物B級映画の秀作の見本のような映画だと思ったものである。

この映画を観て、スティーヴ・カーヴァーに一目置くようになった覚えがある。

当時の二本立て劇場公開の添え物映画には、こういう秀作B級映画がたまに紛れ込んでいたが、それが一つの楽しみだった。

リー・メジャース製作総指揮、主演の映画だが、妨害する派の人間を、最初からメジャースがマンガなまでに荒っぽく叩きのめすところからして、ガテン系の人間たちを描いた題材に合っている。

建築現場の会社的な対立を描いているのに、トラックバンバンぶつけたり、それが盗まれたら奪い返したりと、まるで犯罪アクション映画みたいな展開となるが、そういう荒唐無稽感も、妙に映画にも、題材にも合っている。

リー・メジャースとやたらにセクシー美人なジェニファー・オニールのラブロマンス的な展開に簡単に流れないところもいい。

途中からは、過去のトラウマから、現場は仕切れても、自身は鉄骨組み立てのために高所に昇れなくなっているリー・メジャースの葛藤が描かれていくが、それに納得しないリチャード・リンチの職人仲間に対し、リーがトラウマを克服して鉄骨組み立てをするまでを描く描写も、またはその後の和解も、やはり題材に合った、ガテン系の男たちの少年ジャンプ的友情風に描かれている。

ジャンプ的描写の建築アクション映画と、勧善懲悪な犯罪アクション映画的な描写が絶妙に融合している、拾い物B級映画の秀作な一篇。 2017/06/20(火) 02:08:59 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『ラビット・ホール』




ジョン・キャメロン・ミッチェル『ラビット・ホール』再見、

ニコール・キッドマンとアロン・エッカートの夫婦はニューヨーク郊外の住宅街で暮らしていたが、8か月前に4歳の一人息子が交通事故に遭い死んでしまい、それから2人は強烈な喪失感に苛まれていた。

現実を見て生きようとする夫のエッカートだったが、乱れた気持ちのままの妻キッドマンは、同じ子供を亡くした夫婦の集会にも虚しいものを感じ、周囲に当たり散らす生活を送っていた。

だがある日、キッドマンは息子を轢いた高校生を偶然見かけて思わず尾行し、そのうち公園で話すようになる。





ニコール・キッドマン製作、主演の、デヴッド・リンゼイ=アベアーの戯曲を映画化した作品。

脚本もリンゼイ=アベアーが書いている。

最愛の幼き子供を事故で亡くした夫婦の喪失感と苦しみをダイレクトに描いた映画だが、ニコール・キッドマンがこの映画の演技でアカデミー賞他多くの賞にノミネートされ、全米映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞しているのが全く頷ける、まさに体当たりの名演を見せているのが一番出色である。

こういう題材だと、喪失感と悲しみから、ひたすら被害者的な遺族が、いささかお涙頂戴気味に描かれることが多いが(特に日本のドラマや映画では)、この映画のニコール・キッドマンはあらゆる慰めが何にもならないことに絶望している。

それ故に、あくまで感情を抑えて、周りに気を使い、普通に生きようとするのだが、しかし喪失感をどうしても無視することが出来ず、結局は、はた迷惑にも周りに当たり散らす怒りの表現になってしまう。

そして結局、そうなるたびに、自分をどんどん追い込んで行ってしまうのである。

キッドマンは周りに当たり散らしているようで、結局自分自身を責めているのであり、謂わば自分で自分を傷つけてしまっているのである。

この辺りの、幼い最愛の子供を失った喪失感は、やはりその当事者にしかわからないということを、綺麗事抜きで明確に伝えてくる描写、またはキッドマンの演技は見事というしかない。

そんなキッドマンが、息子を事故とは言え轢き殺し、罪悪感に苦しむ高校生と話すことだけが救いとなる、というか、どちらも事故のある意味では被害者同士であり、そんな二人が話すことにしか救いがないという描写も中々リアルである。

また一見冷静に見える夫のアロン・エッカートだって、大事に毎日見ていた、生前の息子のスマホの動画をキッドマンが誤って消してしまった時には、まるで薬が切れたように怒りだし、つまりエッカートは亡き息子との良き思い出の世界に浸ることで、自身の喪失感を回避してきただけであり、結局キッドマンと同じ喪失感に苦しみ続けてきただけで、ここでエッカートがキッドマンに怒るほどに、エッカートの哀しみの大きさが伝わってくる。

このアロン・エッカートの演技も見事である。

この映画は、ニコール・キッドマンとアロン・エッカートが体当たりの演技でぶつかり合う、その生さが、喪失感の絶望的哀しみの、その本当の辛さを浮き彫りにしていくのである。

そんな本当の辛さを、のたうち回りながら少しずつ乗り越えていこうとする、二人の心理の変化を描いた描写も丁寧である。

綺麗事抜きのダイレクトさで描かれた、かなりの秀作な一篇。 2017/06/10(土) 00:06:35 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『メガ・シャークVSメカ・シャーク』




エミール・エドウィン・スミス『メガ・シャークVSメカ・シャーク』、

ある日、貨物船がエジプトまで運んできた氷山から、巨大ワニのクロコザウルスとの戦いで死んだと思われていたメガ・シャークが数年ぶりに出現する。

国連は全海域の封鎖を要請するが、メガ・シャークはこれで3度目の復活でさらに凶暴に暴れまわる。

そのために、強烈な破壊力を持つ魚雷を搭載したサメ型最新兵器・メカ・シャークを出撃させ、エリザベス・ロームとクリストファー・ジャッジが尽力するが、メガ・シャークはかなり強力で、メカ・シャークはトラブルに見舞われ苦戦する。





前作『メガ・シャークVSクロコザウルス』の続編。

凶暴な上に何度もご都合主義的なまでに復活してくるメガ・シャークに対して、怪物ではなく、人間の作った最新兵器であるメカ・シャークが立ち向かうお話。

前に評を書いた、同シリーズ作『メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス』に出ていた、元アメリカのアイドルシンガー、デボラ・ギブソンが同じ女性科学者役でこの映画にも出ている。

しかしあくまで主役はエリザベス・ロームとクリストファー・ジャッジのカップルである。

破壊力のある魚雷だけでなく、最先端の人工知能で制御されたメカ・シャークと、動かす人間であるエリザベス・ロームや、クリストファー・ジャッジの交流や信頼が描かれ、その合間にエリザベスとクリストファーのカップルの信頼と愛情交流が描かれていくのがメインである。

しかし、様々なトラブルに見舞われて、メガ・シャークを中々倒すことが出来ず、エリザベスが窮地に陥ったり、最先端兵器のメカ・シャークが機能不全となる。

そこで兵器でしかなかったはずのメカ・シャークが、急に制御不能の人知を超えた怪物になってしまう展開がちょっと面白い。

そこでクリストファーは、制御不能のモンスターと化した人工知能兵器を同じくモンスターであるメガ・シャークに立ち向かわせるように尽力する。

いつもは両方、ハナから人知の及ばぬモンスター同士を主人公が都合良く戦わせる展開だが、今回は元々人間が作った最先端兵器=人工知能が、人類の制御不能となりモンスターと化したところで、メガ・シャークという凶暴モンスターに立ち向かわせるという展開になっているところが新味である。

これは、メガ・シャークという天災は、最先端の人工知能が人間の制御を超えたモンスターと化さないと倒せないという意味合いでもあり、そこが軍事的にちょっと意味深なSF展開にも思える。

だが最後には人工知能とクリストファーの絆というか交流も復活し、いつもよりややこしい展開ではあるが、そう短絡なパニック映画なだけではない作品になっている。

見てくれはまあ毎度の唖然とする安っぽさに満ちたパニックアクション映画だが(苦笑)、いつもより多少捻りが効いていないでもない一篇。 2017/05/30(火) 00:06:56 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『ラストミッション』




マックG『ラストミッション』、

CIAエージェントのケヴィン・コスナーは、余命幾ばくもないことを知らされて、これからは今まで蔑ろにしてきた家族と共に過ごす人生を送ろうとパリの妻子のところへ行く。

しかし家庭を顧みない生き方をしてきたため、娘のヘイリー・スタインフェルドと仲良くなれないでいた。

だがその頃、CIAエージェントのアンバー・ハードが、コスナーに最後のミッションを依頼してくる。

それは極悪なテロリストとの戦いであった。

病魔に蝕まれた体でコスナーは娘との関係修復とテロリストとの対決に没頭するが。





マックGが監督、脚本がリュック・ベッソン他、主演がケビン・コスナーというビッグネームが組んだアクション映画。

ケビン・コスナーはエージェントというより殺し屋みたいだが、そう見えてしまうほど、かってヒーロー役ばかりやっていた時代と違って、色々なまわり道をしてコスナーは役の幅を広げてきたので、かなり悪党っぽいワイルドなエージェントにして娘に翻弄される父親役をうまく演じている。

強面な裏の世界の人間が娘に振り回されて家庭を大事にしようとするキャラのギャップは、かっての日本のVシネマなどでよく描かれていたギャップ描写である。

だから脚本はそんなに斬新ではなく、ちょっと懐かしくすら思えるが、何故かケビン・コスナーがそんな役を複数的に演じると古さがあまり気にならなくなり、敵を捕まえてきて無茶苦茶するようで、その相手の人間的な部分にいつも触れていく描写にも面白みがあり、中々うまく出来ている。

やはり、かってなら勧善懲悪のヒーローが似合ったコスナーが、真逆のダーティヒーロー役に見事に似合っているということや、題材自体がB級アクション映画っぽいところが功奏しているのだろうと思う。

娘に翻弄される余命幾ばくもない普通の父親の顔と非情な殺し屋のようなエージェントの顔を同時に切り返すコスナーの演技や描写がわりと面白いし、その切り返しにリズム感すらあり、テンポよく描かれている。

アクションシーンも中々派手だし、『ボディガード』のパロディのようなシーンも入り、映画自体がケビン・コスナーのパスティーシュ的でもある。

アンバー・ハードが準主役っぽく出てくるのに、出番が少なくて地味なのは気になるが、わりと面白く見られる活劇の一篇。 2017/05/23(火) 00:59:44 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『ハイジ』




ポール・マーカス『ハイジ』、

少女ハイジ=エマ・ボルジャーは、両親を亡くして母の妹の叔母に育てられた。

だが叔母がフランクフルトで働くことになったため、ハイジはアルプスの山小屋に住むアルムおんじ=マックス・フォン・シドーと一緒に暮らすことになる。

偏屈者のアルムおんじには、過去に人を殺したという噂まであり、最初はハイジに対しても無愛想だったが、徐々にハイジの素直さに触れて心を開く。

ハイジはヤギ飼いの少年ペーターとも大自然の中で楽しく遊んでいたが、ある日、叔母がやって来て、ハイジを無理矢理、金持ちのゼーゼマン家の娘で、足の不自由なクララの遊び相手にするため、フランクフルトに連れて行く。

ゼーゼマン家は執事のロッテンマイヤー夫人=ジェラルディン・チャップリンが仕切っていて、ハイジはクララとは仲良くなるが、無学なところを疎まれてロッテンマイヤーには嫌われるが。







ヨハンナ・シュピリの原作『アルプスの少女ハイジ』の実写映画版。

日本ではアニメ版が有名で、今だに家庭教師のトライのCMで、台詞を入れ替えたパロディ版が流れているほどポピュラーだが、こちらはアルプスの大自然の景観も美しい中、いかにも明朗な児童映画テイストで撮られた実写映画版になっている。

そのほのぼのとした素朴さはアニメ版以上で、いかにも長閑で普通の子供っぽさのエマ・ボルジャーのハイジ役が実にナチュラルで、それが大自然の雄大な美しさや、コミカルにして簡潔なタッチの映画自体にもよく合っており、普通に楽しく見られる。

マックス・フォン・シドーのアルムおんじも風貌といい存在感といいぴったりで、ロッテンマイヤーさん役のジェラルディン・チャップリンは日本のアニメ版よりさらに意地悪にしたキャラ設定だが、狭量な内面の憎まれ役をジェラルディンが見事に引き受けて好演している。

アルムおんじが住むアルプスの人里離れた小屋や大自然の景観や環境は見ているだけでも素晴らしいと思えるもので、こういう大自然描写に実写映画版の良さがよく出ている。

簡潔によくまとまったシンプルな作りの、わりと楽しく見られる一篇。 2017/05/16(火) 00:06:07 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)
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