0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『みこすり半劇場 生搾りスーパーDX』




中野貴雄『みこすり半劇場 生搾りスーパーDX』、

国際謀略組織スカンク団に二人の忍者が忍び込む。

奥飛騨くノ一の新生美育は、アジトからスカンク団が開発した最終兵器アースシェイカーを奪う。

だが逃走中、アースシェイカーを落とす。

その頃、OLの穂花は、犬の散歩中にバイブレーターに似たものを拾うが、それはアースシェイカーだった。

アースシェイカーは動き出すと日本に大地震を起こす侵略兵器だった。

穂花の一家は能天気に暮らしていたが、アースシェイカー争奪の国家的騒動や、スカンク団のエージェントとくノ一たちの抗争に巻き込まれていくが。






岩谷テンホーの4コマ漫画を映像化したシリーズ第2作目。

4コマ漫画ではあるが、大筋は繋がっており、随所に4コマ漫画の映像化らしい挿話的な描写とオチが描かれていく。

まあそれは漫画でやれば面白いんだろうが、映像でやるとさすがにお寒いものになり、延々くだらないコントを反復しているだけの作品に見える。

後々に武闘派的なアクション女優になる亜紗美が、まだアイドル風のテイストで女子高生役をやっており、脇をなかみつせいじや本多菊次郎、岡田智宏、かわさきひろゆき、吉行由実などのピンク映画の役者陣が固めている。

中野貴雄らしさはモンドテイストの音楽や、ちょっしたキャットファイトシーンに多少出ているぐらいで、随分薄味である。

お話の筋もありがちだし、大して笑えるギャグ描写もなく、ひたすらショーもなさが際立つ作品である。

エロバカコント映画の印象が強いが、コントとしても随分ベタな感じの、あまり面白いとは言い難い一篇。 2017/04/25(火) 01:35:52 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

『サード・パーソン』




ポール・ハギス『サード・パーソン』再見、

パリのホテルで小説を執筆中のピュリツァー賞作家のリーアム・ニーソンは、愛人のオリヴィア・ワイルドと過ごしていたが、オリヴィアには他にも恋人がいた。

ローマでは、アメリカ人の会社員エイドリアン・ブロディが娘を誘拐されていると言う女とバーで出会い、エイドリアンは女の事情に介入していく。

ニューヨークでは、元女優のミラ・クニスが離婚した夫のジェームズ・フランコと息子の親権を争っていた。

ミラは裁判費用捻出のためにメイドとして働くようになるが。






ポール・ハギス脚本・監督の恋愛&ミステリ風味の映画。

パリ、ローマ、ニューヨークを舞台にした3組の男女の関係を描いた作品。

確かにこれまで、 傑作『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本や、監督作『クラッシュ』他の秀作を手掛けてきたポール・ハギスらしさのある、現実と小説中の物語という虚構を織り交ぜた、複雑で巧みな物語展開で描かれてはいるものの、前述の映画に比べると随分物足りなさを感じる作品である。

それは三組の男女が世界の3つの都市にいるという設定が、リアルな人間ドラマを信条とするポール・ハギス作品にしては、いかにもシチュエーション恋愛映画的すぎる作りもの設定に見えるからである。

しかもそこで語られる三組の男女のドラマもどれもありがちなもので、複雑かつ意図的に錯綜させた語りのわりには、どうということもない挿話が三つ絡んでいるだけという印象も受けるのである。

確かに、現実世界に生きているのは、たぶん作家のリーアムと愛人、そしてリーアムの妻であるキム・ベイシンガーであり、ローマやニューヨークの挿話に出てくる男女は、リーアム自身の姿を投影した、リーアムの描く小説中の登場人物だろうから、それぞれの挿話が作りものめいているのは、予め当然なのかもしれない。

しかし、その結末において、現実と、リーアム自身の人生を投影したそれぞれの虚構の挿話が共通する悲劇性を露出しても、どうにも取って付けたような共通性という感じがして、あまり切実なリアリティーを感じないのである。

元々、ハギスお得意の錯綜語りというのは、別に意外な真相だとか、その複雑な語りによるスリリングなサスペンスとか、そういう作りもののサスペンス映画のようなものとは一線を画したものだった。

そこで描かれていたのは、複雑な錯綜展開のその<合間>に、まるで物語の無意識のように顕れる、ドラマという創作物を超えた、リアルな人間の切実な肌触りや、リアルな不意の瞬間のエモーションというものだったはずである。

『クラッシュ』にはそこに生々しい現実の瞬間の切実が映っていたし、『ミリオンダラー・ベイビー』にも如何ともし難い現実が生々しく露呈していた。

しかしこの映画はハギスの達者な語り技によって、リーアムの現実の悲劇性と、それをダブらせたような虚構を通しての補完的な悲劇性がクロスするだけで、そこに肝心のドラマを超えた生々しい瞬間や肌触りがあまり感じられないのである。

確かに現実と虚構のその<合間>から、その切実さや悲劇性は一応伝達されている。

しかしそれはいかにもハギスお得意の達者な錯綜語りから生まれた、ドラマ的な結末に過ぎない。

仮にリーアムの愛人の近親相姦的な真相すら、作家リーアムの書いた虚構的真相にして、その実リーアム自身の過去の暗黒の換喩であると仮定してみても、結局、まあ『オールドボーイ』的な結末と言えなくもないが、肝心のリーアムの切実な生々しき慟哭は薄っすらと匂わされているだけである。

その意味でこの映画には、策士、策に溺れるといった印象もあり、ハギスは自らのお得意の錯綜語りを達者に語れば語るほど、それ自体に溺れてしまっているようにも思える。

結局その達者さを、”ポール・ハギス”というブランドのネームバリューなどから、ありがたがってくれる観客の好意に甘えてしまっていると思う。

たとえばピカソは、『泣く女』で、複雑な表現方法を用いて、一見何がなんだかわからない女の貌を描くことで、顕在化出来ないほどの狂気の泣き叫びを描いていたが、ポール・ハギスもそこを狙ったのかもしれぬが、それにしてはリーアム・ニーソン自体に狂気が感じられず、ただひたすら、さめざめと悲しいという情緒に埋没してしまっているように見える。

役者陣はまあわりと好演しているとは思うが、しかし各々の挿話の設定の中で、随分窮屈に好演しているという印象も受ける。

別につまらない映画ではないのだが、しかし作り手の最大の持ち味が、その自らの達者さによってあんまり出ていないように思える一篇。 2017/04/22(土) 00:06:37 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『修羅の分裂』




山本芳久『修羅の分裂』、

信州一家の三代目総長小沢仁志は、先代から長野を治めることを引き継いでいた。

10年前、東京の大組織組員をある一家の組員が刺殺した事から、大組織の報復が始まり、それは一家への報復だけでは収まらず、系列組織全土へと広がっていった。

その抗争に耐えられなくなった一家の総長野口雅弘は武闘派として有名な小沢の信州一家に助けを求めてくる。




長野の武闘派一家を描いた作品。

信州一家の面々は、小沢は沈着冷静、中野英雄は狂犬のように喧嘩に燃える武闘派、川原英之はわりと知的なタイプとキャラ分けがなされており、よその組の助太刀話なので、どこか武闘派ヒットマン集団という感じである。

小沢の先代の谷村好一の時代の抗争が回想シーンで描かれるが、その抗争の時の構図と、助太刀を頼まれる抗争の構図がよく似ていて、皮肉にも小沢の先代の側に匹敵する立場の大組織の方を小沢らが成敗する展開になっている。

抗争場面ではやはり中野英雄が目立っており、回想シーンでは松田優や大沢樹生がいい味を出している、まあまあな感じの一篇。 2017/04/18(火) 00:43:16 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

『検事 霧島三郎』

田中重雄『検事 霧島三郎』、

検事の霧島三郎=宇津井健は、婚約者の霧立はるみの父である弁護士の菅井一郎に容疑がかかる、菅井の愛人がアパートで絞殺された事件を担当することになり、容疑者の娘である霧立と会えなくなる。

容疑者の菅井は麻薬を残して行方を眩ましていた。

宇津井は愛人の同僚のバーの女・十和田翠から、菅井は戦時中からの知り合いの中国人のコネで国外逃亡したらしいと聞くが、翌日十和田は死体で発見され、その部屋からも麻薬がみつかる。

バーの経営者のテキ屋・山茶花究を取り調べた宇津井は、山茶花がヤク中であることを指摘して尋問するが、山茶花は、殺しは組を裏切った男が知っていると言う。

霧立は婚約している宇津井と話もロクに出来ないので、父・菅井の弟子の私立探偵川崎敬三に頼っていた。

だが霧立は、かねてから毛嫌いしていた杉田康に父・菅井の居場所を知っていると言われ、川崎が止めるのも聞かず、杉田と会うが。





高木彬光の原作を映画化した大映映画。

ミステリアクション映画の部類に入る映画だが、宇津井健は相変わらず新東宝時代まんまの熱血漢の真面目キャラである。

途中、バーの女の十和田翠やホステスの長谷川待子などの扇情的でケバい悪女と、あくまで真面目で気さくな宇津井とのツーショットシーンがあるが、まるで新東宝における三原葉子や万里昌代と宇津井のツーショットみたいで、パルプノワールな犯罪映画テイストが少し出ている。

しかし、この映画は何と言っても宇津井の婚約者の霧立はるみの騙されてばかりいる間抜けな行動が一番目立つ映画である。

どう見ても明らかに怪しい上に、川崎敬三が止めているのに、見返りに体まで要求する杉田康にホイホイついて行って騙されたり、最後も霧立の間抜けな行動によりサスペンスシーンが生まれている。

だが、毎回間一髪の見事なタイミングで宇津井健が助けに来る典型的なお約束展開で、この辺りのご都合主義や、ヒロインをやたら間抜けに描く点などは、今の二時間サスペンスドラマにそのまま継承されている。

他に成田三樹夫や早川雄三、宮口精二などが出ているが、終盤には真犯人が発覚し、ミステリ映画的展開で終わる。

やはりこの映画は、プログラムピクチャーらしい簡潔なテンポの良さが最大の美点だろう。

だから飽きさせずに見せるし、展開も一応面白く見られる。

ご都合主義が目立つ映画ではあるが、そのテンポの良い簡潔な展開描写が悪くない一篇。

2017/04/15(土) 01:59:36 大映 トラックバック:0 コメント(-)

『おとなのワケあり恋愛講座』




トム・ボーン『おとなのワケあり恋愛講座』、

独身生活を謳歌するイギリス人教授のピアース・ブロスナンは、元教え子の恋人ジェシカ・アルバと付き合っていたが、ジェシカが妊娠したため、結婚する。

アメリカで働くことになったジェシカと一緒にLAへと移住するが、数年後、ジェシカの不倫により離婚する。

ピアーズはその後子供を育てながら、ジェシカの姉で、こちらも結婚生活がままならないサルマ・ハエックと再会し、徐々に仲良くなっていく。




いわゆるロマンチックラブコメ映画。

ピアーズ・ブロスナン、ジェシカ・アルバ、サルマ・ハエックに、マルコム・マクダウェルと中々豪華キャストだが、映画自体は今時の視聴率最悪となったフジテレビのラブコメドラマよりも低劣な出来の作品である。

これだけそれなりの名優が出てるんだから、妻の不倫話だって、シングルファーザーとなったピアーズの奮闘ぶりや、アメリカにおける移住問題だって、サルマとピアーズの恋愛への発展描写だって、もうちょっと何とかなりそうなものだろうに、監督の演出や映画のタッチがひたすら浅薄で、どうしようもなくショーもない映画になってしまっている。

あくまで、ロマンチックラブコメ映画タッチを貫徹するにしたって、ハリウッド映画にはフランク・キャプラやルビッチ、スタージェスといった先達の達成があり、そこまで遡らなくても、ブレイク・エドワーズだっていたのに、そこから何一つ受け継いでいない体たらくの映画である。

よくこんな程度の映画に、名だたる名優がゾロゾロ出演したなとしか言いようがないが(苦笑)結構ギャラが良かったからかも、と勘繰りたくもなる。

まあ日本映画や日本のTVドラマにも、豪華キャストの割にスカみたいなラブコメ作品があるから、あれのアメリカ版であろう。

名優たちの演技もイチイチわざとらしいコメディ芝居で、途中妙に感傷的に流れる曲も、映画のドラマ自体や役者の芝居が浮ついてるから、さっぱりシックリきていない。

ラストもなんだか時間がきたからテキトーにまとめて終わりみたいな半端な終わり方で、どこもかしこもイマイチすぎる映画である一篇。 2017/04/11(火) 00:06:39 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)
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