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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

追悼 秋山道男




秋山道男氏が亡くなった。

80年代には、スーパーエディターとして、「宝島」や「ビックリハウス」、YMOなどに関わり、主に西友系80年代カルチャーの仕掛け人のように活躍されていた。

無印良品や小泉今日子、チェッカーズなどのプロデュースもされていたが、この時代はトンがった裏方さんの時代であり、秋山氏もその立役者の一人だったと思う。

だが、その前の時代には、秋山未痴汚名義で、若松孝二監督の映画によく出演されたり助監督をされたりしていた。

中でも「狂走情死考」、「ゆけゆけ二度目の処女」、「性賊 セックスジャック」他が印象深いが、特に「性賊 セックスジャック」での怪演にはかなり生々しい個性が出ていて、インパクト絶大であった。

その他、足立正生の「噴出祈願 15歳の売春婦」や大和屋竺の「愛欲の罠」、「ファザーファッカー」、「赤目四十八瀧心中未遂」「ナイン・ソウルズ」他でも好演された。

俳優だけでなく、様々にクリエイティブな才能を持った才人だったと思う。

秋山道男さん、ご冥福をお祈り致します。 2018/09/22(土) 01:23:45 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)

『炎の城』





加藤泰『炎の城』再見、

四百年ほど前、瀬戸内海の近くにある王見城に、若君の大川橋蔵が留学していた明国から帰ってくる。

しかし大川の留学中に、大川の父は殺されているため、城を奪った叔父の大河内傳次郎とその腹臣、今や大河内の妻となっている大川の母高峰三枝子は、帰国した大川を警戒する。

大川は、徐々に大河内の暴政を知り、狂気を装って探りを入れる。

だが大川の狂気が嘘であることを、彼を愛する三田佳子は見抜いていた。

大川は、父の血まみれの亡霊を見たことから、父の死に疑いを持ち、大河内や母の前で、古事記の中の天皇を刺し殺した后サビの一節の芝居を見せるが、取り乱す母や大河内を見て、大河内らが父を殺したと確信する。

だが、母に詰め寄っていた時、大川は誤まって大河内の側近にして三田の父を刺してしまう。




シェークスピアの「ハムレット」を日本の時代劇に翻案した異色時代劇映画。

途中から大川橋蔵が狂気を装い、父の仇を探す展開である。

全編にわたって、加藤泰独特のローアングルによる映画的画面が貫徹されており、映画としてはかなり美しい。

ローアングルのメインで捉えられた人物と、その周辺の人々の生々しい動きや、遠方に映りこんでいる人物の動きなどが、極めて映画的な運動感を感じさせる画作りになっている。

父を殺した大河内傳次郎の正体を掴もうと大川は動き回り、その間に母の高峰三枝子は罪悪感に苛まれ、大川に父を殺された伊沢一郎は仇の大川と対決する。

伊沢の妹で大川を愛する三田佳子は、父殺しを許すと言いながら、大川とすぐには結ばれないと知ると自殺してしまうのだが、別に大川の復讐が終わるまで待てばいいものを、なんだか早まった死に見える。

最後は悪政に怒る農民たちの百姓一揆がかなり加熱する中、大川は父の仇を討つ。

まあシェークスピアの時代劇版なんて言うと高尚な感じがするが、別に時代劇にありがちな、父の仇討ちをやる勧善懲悪ものである。

大河内傳次郎が悪役を全て引き受けているようなラスボス役をわりと好演している。

また大川を助ける黒川弥太郎もいい味わいである。

映画的には美しい作品だが、まあまあな感じの一篇。 2018/09/18(火) 00:23:08 東映 トラックバック:0 コメント(-)

『ワイルドカード』




サイモン・ウエスト『ワイルドカード』、

ジェイソン・ステイサムは、元は特殊部隊のエリート兵士だったが、今では落ちぶれてラスベガスで用心棒をやっていた。

博打と酒に溺れる生活を送っていたが、ある日、元恋人ドミニク・ガルシア=ロリドが現れ、自分をレイプし大怪我させたマイロ・ヴィンティミリアたちへの復讐をステイサムに頼む。

渋りながらも引き受けたステイサムは、簡単にマイロらを叩きのめすが、彼らがマフィアと繋がっていることを知る。

同じ頃、ステイサムは自分を慕う若者マイケル・アンガラノとラスベガスのカジノで交流を深めながら、自らの堕落ぶりを変えようとする。




ジェイソン・ステイサムが落ちぶれた元特殊部隊の兵士を演じた映画。

冒頭出てくるソフィア・ベルガラは主要キャスト扱いになっているが、最初のヤラセ話にチョロっと出てくるだけで、話の本筋には関係ない役どころの、ほぼゲスト出演に近い。

ステイサムが落ちぶれた男の役に似合わないので、映画自体、空中分解寸前ぐらいのブレブレな映画になってしまっている。

最初、いかにもしがない落ちぶれた役どころで出てきても、元恋人に頼まれて、報復に出向くといつものステイサムである。

それで徐々に特殊部隊時代の自分に戻っていくのかと思ったら、なんだかウジウジ悩みまくった挙句(それがまた似合わない。ステイサムは人間臭い、負の人間の情けない芝居がどうしても似合わない)いきなりカジノでメチャクチャな大勝負をやって大勝するのである。

しかしもっと勝てると踏んだステイサムは大勝した有り金注ぎ込んで、結局ボロ負けし、後悔しまくる。

一体、落ちぶれた特殊部隊の兵士がバトルして自分を取り戻す話なのか、博打勝負に翻弄される奴を描いているのか、ドラマの中心がブレブレである。

勿論、この二つはステイサム自身の再生を目指す行いという意味では共通するものだが、ドラマ的には中心がない羅列描写に見えて、イマイチ映画の軸がハッキリしない。

最後は悪党を叩きのめして終わるステイサム映画らしい終わり方だが、若者のマイケル・アンガラノとのやり取りもなんだか不自然で、ステイサムの映画では珍しいくらいイジイジしたテンポの悪い映画である。

まあそういう映画をハナから狙っていて、ステイサムもいつもとは毛色の違う役を演じて新味を出そうとしたのかもしれないが、どうにも空中分解寸前の妙なチグハグさばかりが目立つ映画になってしまっている。

やはりステイサムに堕落した負の魅力の役どころが似合わない(またはその手の芝居が浅い)ことが一番の難点な気がする、イマイチな一篇。 2018/09/15(土) 01:48:41 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『この首一万石』

伊藤大輔『この首一万石』再見、

大川橋蔵は、人入れ稼業の人足だが、槍奴ぶりが評判だった。

大川と浪人東野英治郎の娘・江利チエミは恋仲だったが、東野は、娘の夫は武士でなければ駄目の一点張りで、二人は結婚出来なかった。

大川は故に武士になりたいと願うが、ある日、小大名の藩から、帰国のための人足を雇いたいという注文があり、大川は仲間たちと旅に出る。

大川は、仲間たちから女遊びを誘われても断っていたが、翌朝、大川は足の生爪を剥いでしまい行列に参加出来なくなる。

一人旅となった大川は、宿に着くが、そこで江利と瓜二つの宿場女郎と出会う。

大川は本陣に槍を立てて務めを終えた後、遊女屋へ行き女郎に会う。

その頃本陣では、二つの藩がハチ合わせになる事件が起こり、大藩の方が勢いで本陣の明け渡しを申し出ると、小大名の藩も東照神君由来の名槍阿茶羅丸を捧げての道中であるとデタラメ並べて対抗する。

しかし大藩から賄賂を貰い、あっさり脇本陣へ移る。

だが、阿茶羅丸だとデタラメ並べた槍を、大川が立て掛けたままだったので、デタラメがバレ、大藩は切腹を要求してくる。

小大名の重臣たちは身代りの下郎の首で何とかしようとし、かねてから武士に憧れていた大川に目をつける。





伊藤大輔と大川橋蔵の時代劇映画。

世評が高いが、しかし、はっきり言ってまるで納得のいかない映画である。

伊藤大輔らしい映画的な流麗さは良いものの、どうやらこれは、武士社会の卑劣と冷酷を批判している映画らしいのだが、そこにまるで腑に落ちないものがある。

そもそも、この映画の大川橋蔵なんぞにどこに同情の余地があるのだ。

それにことの発端は、貧乏浪人のくせして武士じゃなきゃ娘はやらんなどと言っている東野英治郎が諸悪の根源ではないか。

浪人の身分は町人であり、大川と身分に違いなんかないのに、くだらない見栄を張ったがために、大川もくだらない見栄を張って武士になろうなどと言いだしてしまったのだ。

だからこれが、東野英治郎の見栄張りを批判する映画だというなら、まあわかるが、これで武士社会を批判する映画などというのは筋違いにもほどがある。

それに大川は愛し合って夫婦になるはずの江利チエミを裏切って、江利クリソツの女郎と浮気していて、槍を立て掛けたままにし、それが元で小大名は切腹を要求されたのだ。

誰が直接悪いかと言えば、そんなもん槍を放ったらかして女郎と浮気して遊んでいた大川橋蔵である。

だが映画は、切腹を要求された小藩が、まるで責任転嫁のように、大川を武士にして切腹させようとしたという風に描いており、それで武士社会の冷酷への批判をしているつもりらしいのだが、それは明らかにおかしい。

大川に何の落ち度もないのに、急に藩の都合で大川が切腹させられる話なら、なるほど武士社会の冷酷への批判映画というのもわからんでもない。

しかし、明らかに大川のミスによって小大名は窮地に立たされたのだ。

そんなもん、今の時代だったら、まず責任を追及されるのは、実際に問題を起こした者からであって、それで収まりがつかない場合にトップが責任を取るのが順序ではないか。

身分の違いがない今の時代なら、直接問題を起こした大川が責任を取ることなど、当たり前の話である。

なのに武士社会では何故直接問題を犯した者が不問に付されることをこの映画は良しとし、大名の責任者だけが詰め腹切らされることが正しいなどという変な認識を強要してくるのか。

それで直接問題を起こしたはずの大川への責任追及が、武士社会の卑劣だなどという認識はあまりにもおかしい。

そんなバカな話はないだろう。

だがこれは、そんなバカな認識の上に成り立っている映画なのだ。

結局この映画は、諸悪の根源である東野英治郎の見栄張りも批判せず、大川橋蔵のミスや女郎と遊んでいた浮気も批判せず、直接問題を起こした大川が当然取るべき責任を追及されたことを武士社会の冷酷として批判しているという、あまりにもバカげた映画である。

そんなバカげた映画の世評が高いのが、全く納得いかない、おかしすぎる懐疑的な一篇。 2018/09/11(火) 00:06:53 東映 トラックバック:0 コメント(-)

追悼 バート・レイノルズ




バート・レイノルズ氏が亡くなった。

昔映画を見始めた頃、アメリカのセックスシンボルのような、ダンディで男臭い個性を全面に出して色々な映画に主演されていたハリウッドの大スターだった。

口髭が似合うアクションスターという意味では、アメリカの藤竜也だなと勝手に思っていたこともある。

「サミュエル・フラーのシャーク!」の頃は、その片鱗が垣間見えるぐらいだったが、硬派なマッチョという感じではないダンディな洒落っぽさが個性的な名優で、だから相手役がセクシーな美人女優だとよく似合った。

アクション映画に印象深い作品が多く、ロバート・アルドリッチの傑作「ロンゲスト・ヤード」は、やはり代表作だろう。

その他、レスリー・アン・ダウンが相手役のドン・シーゲルの秀作「ラフ・カット」や、音楽も良かった、レイチェル・ウォードとの共演作「シャーキーズ・マシーン」なども良かったが、70年代のラクエル・ウェルチと共演の「複数犯罪」や、カトリーヌ・ドヌープとの共演作「ハッスル」、または「白熱」や「シェイマス」などの役どころは本当にハマり役だった。

その他「脱出」や、イーストウッドと共演した「シティヒート」「グレート・スタントマン」などでも印象深いが、やはり「トランザム7000」シリーズや、「キャノンボール」他などのカーアクション映画もよく似合っていた。

かと思うと、ゴールディ・ホーンと共演した「結婚しない族」では、いつもと真逆のインテリ役だったが、こちらも意外性があって悪くなかった。

昔の正月映画の常連スターでもあった。

ちょっと老いてからは「ブギーナイツ」や、「ドリヴン」、「ザ・プレイヤー」他などに出演し、味のあるバイプレヤー的になっていったが、出演予定だったタランティーノの新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の撮影日の前に亡くなられてしまったのはとても残念である。

やはり一時代のハリウッド映画を象徴するような、ハリウッドの大スターにして名優だった。

バート・レイノルズさん、ご冥福をお祈り致します。












2018/09/08(土) 00:03:43 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)
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