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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『特捜部Q 檻の中の女』




ミケル・ノガール『特捜部Q 檻の中の女』、

殺人課の刑事カール・マーク=ニコライ・リー・コスは、今や捜査への情熱を失っているはみ出し刑事だが、ある日、新部署「特捜部Q」に転属することに。

新部署は終わった事件の捜査報告書の整理が主な仕事で、助手のアサド=ファレル・ファレスと仕事することになるが、報告書の資料の中には、5年前の、美人議員ミレーデ・ルンゴー=ソニア・リヒター失踪事件の捜査ファイルもあった。

議員の船上からの投身自殺と結論づけられていた事件だが、捜査結果に違和感を持ったカールは、助手のアサドと共に再調査を開始する。

すると、次々と驚きの新事実が明らかになる。




先に日本のハヤカワポケミスにてシリーズが翻訳されていたエーズラ・オールスン・ユッシの原作を映画化した、北欧ミステリ映画シリーズの第1作。

まあ日本で言えば「相棒」の設定と似ている
バディものだが、カール・マークは杉下右京ほどの名探偵な刑事ではなく、過去に色々ある上に地道に捜査を繰り返すばかりの、いかにも現場の叩き上げ刑事タイプだし、助手のアサドも、普段は大人しいが、やる時はやるというタイプなので、相棒コンビのテイストは多少違う。

誰も見向きもしなくなった事件の真相を究明してしまうところは「コールドケース」に似ているが、ただこちらは迷宮入り事件捜査の部署ではなく、あくまで過去の事件報告書の整理係という窓際部署なので、その点では「相棒」にも、大山誠一郎原作の「赤い博物館」にも「刑事7人」にも似ており、最近の日本の刑事ドラマによくあるトレンド設定と言えなくもない。

出色なのは、やはり5年前に自殺したはずの女議員が、訳のわからない場所に監禁されており、その理由が女議員にも刑事たちにも最後までわからないという謎設定だろう。

この謎設定が犯人の異常性や狂気の気配としてのサスペンス効果となり、最後まで謎めいたサイコサスペンス的なテイストを映画全体に波及させている。

監禁された死んだはずの女議員を救い出すという、ある意味ではタイムリミット的な設定と、上記のサイコ的な謎設定に、地道な捜査を繰り返すばかりの刑事二人の非公式な単独捜査という心許なさがうまく絡まって、サスペンス映画としても、ミステリ映画としても、それなりに面白く出来ている。

3作映画化されたこのシリーズ映画の中では、一応、この第1作目の映画化が一番出来がいいと思う。

ハリウッドのバディものの刑事映画のような華々しさはなく、北欧ミステリらしく、全体的に暗くくすんだテイストだが、事件が事件なだけにそんなテイストがよく似合っている。

その上でテンポはわりといいので、中々面白く見られる。

また、事件の真相が発覚すると、それまでのサイコサスペンス的な意味合いがひっくり返り、いかにも人間的な事件であったことがわかるのだが、そこで最もサイコパス的だったのは誰で、何であったのか?を問いかけてくるように、意味深に終わるのも秀逸である。

主役の二人の刑事役を、ニコライ・リー・コスとファレル・ファレスが好演している、わりとよく出来ているサスペンスミステリ映画の佳作な一篇。 2018/11/17(土) 04:11:36 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『D坂の殺人事件』




窪田将治『D坂の殺人事件』再見、

団子坂の安アパートに住む、青年・郷田三郎=河合龍之介は屋根裏を散歩することで性欲を満たしていた。

ある日、たまたま、郷田は蕎麦屋の主人の仁科貴と古書店の夫人・祥子の不倫現場を目撃するが、郷田は夫人に惹かれる。

その後蕎麦屋が死体となっているのを、古書店主人の木下ほうかが発見する。

蕎麦屋主人の頸には縄の痕があり、浪越警部=近藤芳正は自殺と断定する。

しかし、偶然通りかかった探偵・明智小五郎=草野康太は、自殺には懐疑的で、古書店を訪れるが、そこに居た郷田を見て怪しいと思う。

また明智は古書店夫人の腕の痣にも注目し、探偵事務所に戻り、夫人で助手の文代=大谷英子に事件調査を依頼。

文代は、蕎麦屋の妻を尋ねるが、郷田は古書店夫人に近づいていく。





江戸川乱歩没後50周年記念作品として作られた映画だが、とても乱歩に敬意を持って作られたとは思えない出来である。

明智小五郎のデビュー作である「D坂の殺人事件」に、「屋根裏の散歩者」の郷田を絡ませる設定に変えているが、河合龍之介が郷田のような変態にはまるで見えない上に、絡ませ方がつまらないので、それぞれの原作の魅力を相殺的に消しあっているような退屈さである。

明智の設定も「D坂」の原作では独身二十代の怪しい高等遊民だったが、こちらはAKC探偵事務所の職業探偵という設定に変え、助手も妻の文代という設定で、事件捜査は明智ではなく文代ばかりが行なっている。

明智は大して推理もせず、最後に偉そうなことを言うだけで、明智小五郎の魅力すらロクに描かれていない。

そもそも「D坂」は明智の名探偵としての魅力と、最有力容疑者としての怪しい魅力の両方を描いていたのだ。

なのに、その明智を、ただの通りすがりで、捜査はほぼカミさん任せ、最後に偉そうなことを言うだけのクソつまらないキャラにしてしまうとはもはや致命的な愚かさである。

乱歩の傑作2作を混ぜ合わせて魅力を半減させる中途半端をやった挙句、明智小五郎の魅力すら描かず、明智をほぼゲスト出演並みの出番の無さにして陳腐にしてしまうような体たらくの映画が、何が没後50周年記念映画だよ、と言いたくなる愚行に近い出来である。

おまけに、それなりに時代色を感じさせる美術が施され、祥子も木下ほうかも適役で好演しているのに、映画のタッチが学生自主映画のようなユルさで、なんとも締まらない。

まあ、古書店主人の木下ほうかが実は祥子の○○だったという原作にはない捻りは、多少倒錯性を高めたと言えなくもないが、マシなのはそこだけで、その後の祥子と河合の絡みも平板な上にエロの方も不徹底だし、木下ほうかの個性すらもう一つ活かしきれておらず、ところどころに難点や残念なところが見受けられる。

そんなまるで腑に落ちない、イマイチすぎる一篇。 2018/11/13(火) 01:13:34 その他 トラックバック:0 コメント(-)

『デスパレートな人妻たち 昼下がりのヨガスクール』

藩平太郎『デスパレートな人妻たち 昼下がりのヨガスクール』、

念願のヨガスクールを開校したインストラクターのもりかわゆいは、パトロンの世話で開校した後も、スクールのフランチャイズ化を目指していたが、パトロンに資金がなくなり、夢の実現は難しくなる。

もりかわのヨガスクールに通う主婦の真田ゆかりは、指導されてるうちにレズに目覚め、もりかわに恋愛感情を持つ。

同じくヨガスクールに通う澤田麗奈は娘の金井アヤをつれての子連れ再婚で、玉の輿に乗っていたが、浮気をしており、相手からはさらなる深い交際を迫られ困惑していた。

澤田の夫の成國英範は義理の娘の金井に手を出そうとしたため、金井は成國を嫌い、海外留学したがっていた。




海外ドラマ「デスパレートの妻たち」のエロ系日本版の一作。

本家同様、クソみたいな女ばかり出てきて、欲とエゴに塗れてドツボにハマっていく様が隙なくテンポよく描かれ、意外とよく出来ている。

もりかわゆいはいつの間にかフランチャイズ化に執着して、かなり献身的に助けてくれたパトロンへの感謝も忘れ、新たなパトロンに乗り換えるが、結局ドツボにハマって全てを失ってしまうし、玉の輿に乗った後も不倫していた澤田麗奈は浮気相手に追い詰められて窮地に陥る。

もりかわが言い寄ってきた真田に邪険にすると、真田にはアシスタントの平沢里菜子が寄ってきてレズ関係になり、真田の口利きでスポンサーをみつけた平沢はもりかわのヨガスクールを乗っ取ってしまう。

そのスポンサーというのが、成國の会社に敵対的買収をかけてきた挙句、成國に娘の金井を抱かせろと要求したロリコンクズ野郎で、男も女も悉くロクな奴が出てこない。

ブチ切れた金井にクズ野郎は暴れられて、結局成國の会社は買収され、成國を新たなパトロンにしようと関係を結んでいたもりかわの計画も頓挫、成國もクビになるという、極めて自業自得なクズどもの末路が次々描かれ、中々気持ちがいい。

とこのVシネは、調子に乗って欲とエゴに塗れている男と女両方が自業自得の末路を辿るスッキリした顛末となっている。

最後はもりかわが反省した形で終わっていくが、欲とエゴの絡み方と、それが錯綜的な人物関係を動かし、おのおのが自業自得の末路を辿ってゆく展開が意外とゴタゴタしたわかりにくさにならず、スッキリまとまっており、わりと脚本が巧いと思う。

「巨乳じゃない松坂南」みたいな見た目のもりかわゆいは、しおらしい顔して欲に塗れてゆく姿を好演しているし、鬼畜のような澤田の夫役の成國英範もロクでもないクソ野郎役をリアルに演じている。

澤田麗奈も役に合っている。

意外と隙なくキッチリ出来ている一篇。
2018/11/10(土) 00:45:22 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

『2001年宇宙の旅』




スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』再見、

人類の夜明けには、ヒトザルの攻防があり、そこから道具が生まれた。

その後、月に人類が住むようになる時代になると、アメリカ宇宙評議会の博士は、月にて発掘された謎の物体TMA=通称モノリスを調査するため、月面の基地に向かう。

その調査中、400万年ぶりに太陽の光を浴びたモノリスは強力な信号を木星に発する。






アーサー・C・クラークの原作をキューブリックが映像化した、SF映画の金字塔と未だ言われる作品。

クラシック音楽と、あまりにも美しい荘厳なSF的映像の融合が、圧倒的な「美しさの強度」を実現している50年前の名作である。

だが、この映画を再見する度に思うが、この50年間でSF映画やSFアニメは、特撮などの技術が格段に進歩したのに、この映画の持つ最大の魅力である「美しさの強度」を捨てて、やたらとダサくなってしまった。

美しくないにしても、デザインや映像のセンスに強度を感じさせたのは「ブレードランナー」2作、「エイリアン」「砂の惑星 デューン」など、ごく一部にすぎない。

『2001年宇宙の旅』に影響受けたとかほざいているSF監督やアニメーターは、何で後の自作で、この「美しさの強度」を追求しないのかが長年の疑問である。

真似を安臭くすればするほどダサくなってしまっている悪循環に、この50年間、いつまで経っても無頓着な奴らばかりなのである。

「2010年」に至っては、まあピーター・ハイアムズ作品だし、つまらなくはなかったものの、『2001年宇宙の旅』の「美しさの強度」は皆無で、まるでミスタードーナツの安物のコーヒーカップを延々眺めているような気分にさせられた覚えがある。(苦笑)

なるほど「スターウォーズ」や「スタートレック」には、エピソードによっては面白いものもある。

しかし総じて美しいとは言い難いSF映画であることには変わりない。

何本撮っても、特撮技術がどんだけ向上しても、「美しさの強度」には無頓着なまま、シリーズを連発しているだけだ。

『2001年宇宙の旅』を真似すればするほど、その点では悪循環に陥り続けている。

「機動戦士ガンダム」シリーズも、別にそうつまらなくはないし、面白いエピソードもあるものの、正直初めて見た時から、自分には、「美しさの強度」とは真逆のものでしかなかった。

だから、あれをカッコイイなどと言う、自分と同じ人類が、世界中に長年大量に存在することは、今もって人類の神秘または珍事だと思っている。(苦笑)

SF映画などという、特撮技術の進化に大きな意味があるジャンルが、未だに50年前の特撮技術で作られた『2001年宇宙の旅』に特権的な立場を与え続けているのは、その後50年間のSF映画、SFアニメが、ひたすら『2001年宇宙の旅』の最大の魅力である「美しさの強度」に無頓着であり続け、ひたすらクソダサいものばかり作ってきた証左でしかない。

たとえば「アバター」の、最新技術が目立つばかりで、全編に溢れていたあのクソダサさ、

山崎貴の「寄生獣」「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の、つまらないだけでは飽き足らない、あの救い難いダサさ、

同じく反抗する人工知能が出てくる「ユニヴァーサル・ソルジャー/ザ・リターン」にはセンスの欠片もなく、ユニソルがかけていたメガネなど、今のハズキルーペと似たようなデザインである。(苦笑)

勿論、才能あるSF映画やアニメの監督はいるし、傑作SF映画もアニメもあるが、SF映画、SFアニメを見る前にいつも思う、「どうせダサいが、それなりに面白かったら悪く言うべきではない」という譲歩の気持ちを、少なくとも『2001年宇宙の旅』は一切持たなくていい。

だが本当は50年前の特撮SF映画を、そんなことでイチイチ褒めなければいけないことは間違っている。

50年も経っているのだから、そろそろ『2001年宇宙の旅』を、「美しさの強度」で超えるSF映画が生まれるべきだと思う。

しかし、アニメファンはたぶん「美しさの強度」なんてどーでもいいのだろう。

つまり観ている方も、「美しさの強度」に無頓着なのではないか。

だから、それらとは対極のところにいる、「美しさの強度」が魅力の『2001年宇宙の旅』は、いつまで経っても、”歴史ある美しき美術品の箱”に入れられ、特権的に持て囃されるのである。

それはやはりいいことではない。

50年前の特撮SFらしいレトロ感は随所にさすがに感じられるし、そう派手な特撮が施されているようには見えないのに、その後50年間のSF映画やSFアニメの大半がクソダサいから、未だに「美しさの強度」で特権的立場を有するなんてのは、良いことのはずがない。

とは言え、まあ本当は、クソダサいSF映画やSFアニメなんてのは実は普通の作品であり、中には好きなものや面白いものもあるので、本当は別にそう悪く言いたくもないのだが、しかしながら何故か『2001年宇宙の旅』を再見していると、いつも、この映画か、またはキューブリックだかに「いいか?1968年の時点で、これだけの”美しさの強度”を持ったSF映画を実現しているのに、その後クソダサいSF映画ばっかり量産されてるってのは一体何なんだ!そのくせ、どいつもこいつもこの映画の影響受けてるだの平気でヌカしやがる。おかしいだろ?ちょっと、あんた、一言言ってやってくれよ!」と言われている気分になってしまうのである。(苦笑)

再見すると、いつもそういうことを思わされる、上記の理由で未だに古びない、傑作SF映画の一篇。 2018/11/06(火) 00:06:16 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

追悼 江波杏子 吉田貞次




江波杏子さんが亡くなった。

日本のアダルティなクールビューティ女優として昔から好きな女優さんだった。

若い頃の大映映画の、「女賭博師」シリーズや「閉店時間」、「私を深く埋めて」、田宮二郎主演の「犬」シリーズ他での好演も良かったが、主演作である「女殺し屋 牝犬」「女秘密調査員 唇に賭けろ」、それと東映で主演した加藤泰の「昭和おんな博徒」でのクールビューティなカッコ良さは、江波杏子映画のマイベスト3であり、なんとも最高に素晴らしかった。

「女殺し屋 牝犬」のクールでやたら強い女殺し屋役はまさにハマり役で、全編実にカッコ良く決まりまくっていた。

「女秘密調査員 唇に賭けろ」の女スパイ役はセクシーな色仕掛けがレズにまで至り、江波さんのセクシーアダルトな部分を全開にしながらも、実にクールな女スパイを演じられ、これも見事なハマり役だった。

「昭和おんな博徒」では、クールビューティな元来の魅力に、まるで石井隆のナミのような女の情念がほとばしり、実にタイトにして情緒豊かな復讐の女侠客役が素晴らしかった。

また鈴木清順の「悲愁物語」での、ヒロインを追い詰める不気味な怪演もあまりにも見事だった。



長く続いた「女賭博師」シリーズの、クールな強さと女としての弱さが入り混じった女壺振り師役も、やはり言うまでもなくハマり役だった。

その他、「津軽じょんがら節」や「再会」「告訴せず」他や、成田三樹夫主演のハードボイルド探偵ドラマ、TV「土曜日の虎」での好演、「Gメン」シリーズでの女刑事役も良かった。

近年でも老いて尚、「娼年」や、TV「かぶき者慶次」「結婚式の前日に」「コールドケース 〜真実の扉〜」「限界団地」他で個性的に好演されていた。

やはり、好きな女優さんが亡くなるというのは寂しいものである。

本当に生涯素晴らしき女優さんだった。

江波杏子さん、ご冥福をお祈り致します。






さて、その数日前には、主に東映映画で多くの作品の撮影監督をされていた吉田貞次氏が100歳で亡くなられた。

何と言っても「仁義なき戦い」シリーズの、あの深作欣二映画独特のリアルに動きまくるカメラワークを確立された方だった。

だから、やはり「仁義〜」シリーズが代表作ということになるだろうが、その前の時代には、もうちょっと様式美的に撮られた、多くの東映任侠映画の撮影も担当されていた。

他にも「牙狼之介」シリーズや、「宮本武蔵」シリーズ、「炎の城」や「この首一万石」他などで流麗なカメラワークを実現されていたが、「日本暗殺秘録」の、それに加えて、どこか生々しいカメラワークも実に素晴らしかった。

また、荒井美佐雄監督の「温泉ポン引き女中」の撮影は特に見事で、様々にキッチュな場面の撮影ばかりでなく、何と言っても、温泉に無人のモーターボートが突っ込んで来て、温泉に入っていた女たちが血まみれバラバラに殺されてしまう、あの稀有なほどリアルなのに、どこか「ジョーズ」のスプラッタ場面のような迫力すらあるシーンの凄さは忘れ難いものである。



日本映画を支えてきた、実にプロフェッショナルな名キャメラマンだった。

吉田貞次さん、ご冥福をお祈り致します。

2018/11/03(土) 00:05:34 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)
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