0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『ゾンビーバー』




ジョーダン・ルービン『ゾンビーバー』、

ある時、トラックに積まれていた汚染廃棄物が、ビーバーが棲息する湖に落下する。

湖の周辺にコートニー・パームら女子3人組がキャンプにやって来るが、謎の影を感じて怪しんでいると、それはそれぞれの恋人や元彼で、男女らはそこから乱痴気騒ぎになる。

だが、風呂場に凶暴なビーバーが現れ、なんとか殴り殺すものの、その死体が消えてしまい、それから多くの凶暴なビーバーが襲来し、殺してもビーバーは実はゾンビ化しているので復活して襲いかかってくる。





ゾンビ化したビーバー=ゾンビーバーがキャンプにやって来たバカカップルの一行を襲うパニックホラー・バカコメディ。

ビーバーはゾンビとは言え、マペットで妙に可愛らしい。

『ハングオーバー』シリーズのスタッフが参加しているおふざけホラーで、男女カップルの乱痴気騒ぎやバカげた絡みが描かれる中、そこにゾンビーバーが襲来し、ひたすらマペットの可愛らしいビーバーを叩き殺すシーンに発展する。

バカな男女らしい痴情のもつれの挿話もそこに絡んで、コミカルにお話は展開するが、まあホラーとしてはやたらにヌルいものだし、コメディ映画としてもそれなりの出来である。

しかしラストに流れるわりと本格的なジャズヴォーカル曲である「ゾンビーバーのテーマ」が中々決まっていて、おふざけにエスプリが効いている。

曲やヴォーカルは本格的でも、歌詞の中身はこの映画のテーマ曲らしく極めてショーもないが、ラストにこういうテーマ曲を持ってくる『ダイ・ハード』のパロディみたいなセンスは悪くない。

ZOMBEAVERS Theme Song

バカな男女を演じている役者陣も主演のコートニー・パーム他それぞれ個性があって、わりと好演しているとは思う。

大した映画では全くないが、エンディングまでキッチリおふざけに徹してはいる一篇。 2017/08/22(火) 00:07:13 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『民暴2』




貝原クリス亮『民暴2』、

木下ほうかは上司に不正を強要され、それが嫌で役所を辞め、たまたま助けた白竜のヤクザと知り合ったことで、カタギを守るヤクザ案件専門のコンサルタントを始める。

恋人の弁護士の紗綾と白竜の協力を経て、いくつもの案件を解決していくが、白竜がバックにいることから警察は木下に睨みを効かし
、白竜と対立する組には狙われ、ある時、中年のしがない鉄砲玉の仁科貴に一緒にいた紗綾が刺される。

復讐に燃える木下は、報復の実行部隊である白竜の子分に混じって自分も手を汚して紗綾の仇を取ろうとするが。





ドラマやTVバラエティーでの嫌な上司役でブレイクした木下ほうかが主演の、シリーズ2作目。

元々この手の題材では嫌な刑事やヤクザ役が脇で多かった木下だが、類似するキャラでTVでブレイクすると、その後温厚な善玉キャラになって主演するというのも不思議な話だが、まあ役者として、ちょっと出世した主演作という感じである。

基本は善玉ヤクザの白竜、木下側が悪徳ヤクザと対決し、そこで木下がメインで活躍するという勧善懲悪的展開である。

とは言え、白竜側は報復するとなったら容赦なく殺しまくり(紗綾は怪我で済んだのに)、仁科貴が父・川谷拓三が生前得意としたような、しがない中年のうだつの上がらない、気の弱い鉄砲玉役を好演しているものの、そんな訳ありな仁科すら容赦なく殺してしまうほどで、白竜自体も大組織の中で親分の成瀬正孝に怖れられる凶暴なキャラとして描かれている。

ただ紗綾の復讐のため、自ら報復の実行部隊に入りたがった木下が、金に困って紗綾を刺した仁科の残された大村渓の妻や子供のために、金を届ける温情描写を最後に入れてはいるが。

恋人関係にある紗綾と木下がイチャつくシーンには、まるで木下がアドリブかまして紗綾が笑いを堪えながらやり取りしているような素の感じが出ていてちょっと面白いが、全体的にはまあまあな一篇。 2017/08/19(土) 00:06:39 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

追悼 西村昭五郎



先日、西村昭五郎監督が亡くなった。

数年前に滋賀の老人ホームに入られ、監督引退されていたが、日活ロマンポルノ第一作である『団地妻 昼下がりの情事』を撮った、ロマンポルノだけでも最多の83本も撮った監督である。

脚本家から貰った脚本が気に入ったら、あまり直さずに撮る、謂わば脚本家の作家性を損なわずに映画を作る職人監督だったようである。

ロマンポルノ以前は、デビュー作『競輪上人行状記』がいきなり高評価だったが、その後小林旭の『不敵なあいつ』、
前にここで評を書いた異色の青春映画『帰ってきた狼』、
佳作『東京市街戦』、
かなり渋いキャストと内容が良い『やくざ番外地』、
レズとジャズと情死などの様々な生態が異色に交錯した真理アンヌ主演の秀作『残酷おんな情死』(でもATG映画的すぎて、この後ロマンポルノまで干されたらしい)他などが良かった。

ロマンポルノ以降は、これも前にここで評を書いた、ラディゲの映画化で中々の佳作だった『肉体の悪魔』や、
濃いテイストの『黒薔薇夫人』 、
こちらも前にここで評を書いている、ワイルドさとメロウな繊細さが同居した『愛欲生活 夜よ、濡らして』 と蘭光生(式貴士)原作の、式貴士らしさすらよく出ていた、ロマンポルノ屈指の傑作『鏡の中の悦楽』他などが特に良かった。

西村昭五郎作品には、いささか抽象的な言い方だが、映画に独特の粘りというか、映画という運動体にドラマや物語や人間が独特に粘りついて、いつの間にか粘り気のある色濃い有機体と化していくような醍醐味があった。

上記の秀作群は、その西村昭五郎的な粘りの色濃い有機体の醍醐味が映画自体の魅力として特に輝いていた作品だった。

別に作品自体が大傑作というわけではないが、個人的には『濡れて悶える』や『火照る姫』などにも西村昭五郎的粘りの魅力のテイストが出ていたように思う。

ロマンポルノ終了後は、『難波金融伝 ミナミの帝王』の劇場版やTVの二時間ドラマなどを撮られ、その後わりとお早く引退されていたが、やはり職人監督的とは言え、色濃い作家的個性と独特の才気に満ちた映画作家だったと思う。

西村昭五郎さん、ご冥福をお祈り致します。





2017/08/15(火) 00:06:32 R・I・P トラックバック:0 コメント(-)

『ブライアン・ウィルソン ソングライター PART2 ~孤独な男の話をしよう~』




ロブ・ジョンストーン『ブライアン・ウィルソン ソングライター PART2 ~孤独な男の話をしよう~』、

ポピュラー音楽史に残る歴史的バンド=ザ・ビーチ・ボーイズの中心人物にして、名曲の数々を作ってきた天才ソングライター・ブライアン・ウィルソンの、絶望と失意のドン底時代を語る、ドキュメンタリー・シリーズのパート2。

このブライアンの暗黒時代の話はたまにチラホラ聞いてきたので、ドキュメントとしてはパート1以上に興味深いものだった。

前作のパート1では、デビューからブレイクしていく栄光の7年間の光と影や、その音楽的変遷を語っていたが、それでも後半になるとバンドやブライアンの錯綜や混乱、時代の潮流から離れていく兆候が語られていた。

それがこのパート2になると、そのトバ口から一気に凋落し錯乱していくブライアンと、ザ・ビーチ・ボーイズの苦難の時代となり、その時代(1969~1982年)の真相を中心に捉えている。

監督がロブ・ジョンストーンに変わっているが、パート1の監督、トム・オーディルは編集で参加している。

幻のアルバムだった『スマイル』が当時封印された理由や、それ以降、ドラッグ・酒に溺れ自暴自棄になって孤立し、凋落していくブライアンの変遷を中心に追いながら、低迷期のザ・ビーチ・ボーイズの名曲やブライアンの幻の音源についても、ブルース・ジョンストンや、レッキング・クルーのハル・ブレイン、ザ・タートルズのマーク・ヴォルマン他などなどの、ブライアンをよく知る人物たちが秘話を交えてその楽曲の詳細な分析とその時代のブライアンの惨状を証言的に語っている。

またその後、有名な精神科医のカウンセリングを受け、周りの関係者の尽力もあって、1988年に初のソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』で完全?復活したブライアンが(いや、あれを完全復活と言うかは意見が分かれるところだろう。当時、ほとんどアシッドフォークの退廃感すら感じたのだが)ライヴを行い音楽活動を展開、ついにはビーチ・ボーイズ結成50周年再集結プロジェクト(2012年)に加わり、新作アルバムとワールドツアーに参加するまでをも捉えている。

ドン底時代のブライアンは、メンバーとの不仲、確執(特に批判的だったのがマイク・ラブらしい)などもあり、精神的にはさらに追い詰められていく。

アーティストとしても、または時代の寵児としても凋落していき、単にミュージシャンや作曲家として低迷しバンド内の人間関係が悪くなるだけでなく、ブライアン自身が精神的に荒廃していったわけである。

しかしそんな中、私も好きなデュオで、ブライアンの当時の妻マリリン・ウィルソンとその妹のデュオ、スプリング(アメリカン・スプリング)をプロデュースしたことが、ブライアンにとってかなり癒しになったというか、平常心を取り戻す糧になったらしい。

アメリカン・スプリング自体は当時あまり受け入れられなかったようだが(後に高い評価を得るようになる)、しかしやっていることはこの時代に生み出したA&Mサウンドやブライアンの楽曲の良質な部分の塊だった。

ビーチ・ボーイズだとか、世界の天才スーパースターだとか、時代の寵児だとか、厳しいステージパパとの関係やその喪失による不安だとか、ブライアンは様々なものに取り囲まれ身動きが出来なくなり、その上で色んなものを失っていったし、終いには自らの輝いていた歌声まで失っていた時代もあったわけだが、それでもそんな中でのアメリカン・スプリングの瑞々しさや清涼感は、ブライアンにとって、原点返りのための大きな意味があったのではないかと思う。
そこで(この映画に出演もしている)作曲家のデヴィッド・サンドラーとコラボしたことも良かったと思う。

この時代の天才ミュージシャンはブライアンもこれほど波瀾万丈だが、フィル・スペクターなど今も刑務所に入っており、何ともその作り出す多幸感溢れる楽曲とは真逆の現実が意味深すぎるが、このドキュメンタリーシリーズのパート2は、ブライアンのそんな暗黒時代を証言を交えた客観視でじっくり語っており、中々見応えのあるものになっている一篇。 2017/08/12(土) 00:06:46 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』




トム・オーディル『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』、

ポピュラー音楽の歴史的な大物バンド、ザ・ビーチ・ボーイズの中心的存在ブライアン・ウィルソンの、1962年から1969年までの栄光と苦悩を追ったドキュメンタリー映画シリーズのパート1。

「サーフィン・サファリ」や「サーフィン・U.S.A.」、「サーファー・ガール」や「ファン・ファン・ファン」、「ドント・ウォーリー・ベイビー」や「グッド・ヴァイブレーション」他などなど、数々の名曲を生み出してきた、コンポーザーとしても音楽史に輝くべく存在である孤高の天才と呼ばれるブライアンだが、その人生は波瀾万丈に満ちたものだった。

このパート1は、ブライアン最盛期の活躍をメインに捉えたもので、この後のブライアンドン底時代の話までは出てこないが(パート2で語られている)、それでもブライアンもビーチ・ボーイズも時代と共に変わっていった、または時代に翻弄されて変わっていかざるを得なかった、その変遷が語られている。

『ペット・サウンズ』や問題作『スマイル』などなど、多くの歴史的な名盤を作ってきたが、いつも順風満帆に大スターバンドだったわけではなかったビーチ・ボーイズ。

それは同時に、そのマニュピレーターと言っても過言ではないだろう中心的存在のブライアンとて同じことだったわけで、「サーフィンU.S.A.」や「サーファー・ガール」などのヒット曲を出した後、ライブの活動とソングライターを兼ねる軋轢からライヴ活動をやめていた時期もあったくらいで、やはりブライアンもいつも順風満帆だったわけではない。

またあまりにもマニュピレーターとしての中心的存在だったため、しばしば幾つかのビーチ・ボーイズのアルバムはブライアンのソロアルバムの様相を呈してしまっていたことも語られる。

このドキュメンタリーでは、ブライアン本人のインタビューはなく、ビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンやデイヴィット・マークス、キャロル・ケイやレッキング・クルーのハル・ブレイン、「スマイル」の著者ドミニク・プライアやブライアン・ウィルソンの伝記の著者ピーター・エイムズ・カーリン、ビーチ・ボーイズの元マネジャーだったフレッド・ヴェイルや、スリー・ドッグ・ナイトのダニー・ハットンらの証言的なインタビューを重ねて、ブライアンの周りにいた人々の証言を元に、ビーチ・ボーイズとブライアンのそうした錯綜と変遷の核心に迫っていこうとしている。

私の好きなフォー・フレッシュメンに、ブライアンは大きな影響を受け、そのJAZZコーラスを研究して、ビーチ・ボーイズのサーフロックサウンドに昇華した逸話。

その次にフィル・スペクターに多大な影響を受けたブライアンが、ザ・ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」をいかにうまくビーチ・ボーイズの「ドント・ウォーリー・ベイビー」にリメイクしたかの分析的な逸話。

または、そこからフィル・スペクター御用達のバンド、レッキング・クルーとコラボするに至る経緯。

その後登場したザ・ビートルズが、いかにブライアンやビーチ・ボーイズを翻弄し、変えていったかということまで、そうしたブライアンが影響を受けたアーティストたちの秘蔵映像を交えて、かなり丁寧に語り明かしている。

特に『スマイル』制作に至る時代の話になると、後のドラッグに溺れ、引きこもり状態となるブライアン暗黒時代の影がすでに見え隠れしているのがよくわかる。

つまり時代はベトナム反戦の時代であり、ビートルズの楽曲のように個的な内面に向かう音楽の時代となり、ケネディが大統領になり、カリフォルニアのモダンなライフスタイルが注目され、サーファーガールやサーフライフを歌っていればいい時代ではなくなっていくわけである。

その辺りにおけるブライアンの錯綜、ビーチ・ボーイズ自体の混乱の入り口が、後半語られている。

しかしブライアンの凄さとは、影響を受けたアーティストから吸収したものをベースに、謂わば音楽的発明をし続けたことにあると思うのだが、その辺りのことも、周りにいた人々の証言を通してちゃんと捉えられている。

ブライアンのインタビューを入れず、絶えず周りにいた人々の証言で外堀を埋めていくスタイルだから、確かにブライアンの真の心中は明確ではなく、真相は藪の中という感じが少ししなくもない。

しかし、あくまでビーチ・ボーイズやブライアンをリスナーの側から検証するならば、寧ろこの外堀埋めスタイルの語り故に客観的な音楽史を語り得ていると思うし、それぞれの時代とブライアンの関係を俯瞰させるものにも成り得ていると思う。

3時間とちょっと長いが、そんな中々に濃い内容が語られた佳作ドキュメンタリーな一篇。 2017/08/08(火) 00:06:58 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)
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