0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『外道坊2』




辻裕之『外道坊2』再見、

刑事のKojiは外道坊=小沢仁志が、ヤクザの本宮泰風を死なせた現場を目撃した。

Kojiはその不可思議な現場に混乱しつつも、外道坊を追う。

Kojiは相棒の先輩刑事木村栄と、上司の命令を無視して捜査するが、外道坊の殺人の物証は出てこなかった。

だがその頃、木村が追っていた事件の関係者が次々と死んでいく。

それらの事件の裏の闇に二人は迫るが、Kojiはそこで外道坊の姿をたまに見かけるが。




平松伸二の原作漫画を映像化した2作目。

意外なほどに主役のはずの外道坊の出番が少なくて、ドラマ的にはほとんどKoji主演のお話である。

しかし、そのわりにドラマチックと言えるほどの刑事ドラマもなく、ただひたすら闇の力の抹殺者が木村が追っている事件他の関係者をどんどん抹殺していく展開が描かれ、それがネタ振りとなって外道坊の天誅に繋がるだけの話だったりする。

やはり外道坊の出番の少なさが、ドラマ的にも中心を欠いた物足りなさを感じさせる。

確かに主役ではないKojiと木村の刑事の葛藤や罪悪感、焦りなどはわりと描かれているものの、設定的に無力であることがわかっているので、闇の抹殺に対抗しうるはずもないことも明白なため、最後は外道坊の力で刑事二人の怒りは報われるものの、そこまでのドラマが面白いものであるとは言い難い。

小沢仁志の外道坊には不気味な風格があり、わりと似合っているだけに、もうちょっと主役である外道坊の出番が前半から多い方がお話に厚みが出たようにも思える一篇。 2017/06/24(土) 03:23:42 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

『超高層プロフェッショナル』




スティーヴ・カーヴァー『超高層プロフェッショナル』再見、

ジョージ・ケネディの建設会社ボスは、高層ビルの鉄骨組み立ての期限が来ている時に転落死してしまう。

葬儀の後、娘のジェニファー・オニールは、3週間内に鉄骨を組立てなければならない状況の中で、父の後継者となり、現場監督を腕利きのリー・メジャースに頼もうと交渉に乗り出す。

承諾したリーは、昔仕事をした仲間を呼び集める。

だが、一方でケネディの弟は仕事を奪おうとして、リーやジェニファーが期限までに鉄骨を組み立てるのを完成させぬよう妨害してくる。

リーは妨害に対抗し、期限までに鉄骨を組立てようと奮闘するが、リー個人にはある問題があった。





1970年代末に作られた、ウェルメイドなガテン系建築アクション映画。

初見はスプラシュ上映の添え物映画として劇場公開された時だが、当時を代表する、所謂拾い物B級映画の秀作の見本のような映画だと思ったものである。

この映画を観て、スティーヴ・カーヴァーに一目置くようになった覚えがある。

当時の二本立て劇場公開の添え物映画には、こういう秀作B級映画がたまに紛れ込んでいたが、それが一つの楽しみだった。

リー・メジャース製作総指揮、主演の映画だが、妨害する派の人間を、最初からメジャースがマンガなまでに荒っぽく叩きのめすところからして、ガテン系の人間たちを描いた題材に合っている。

建築現場の会社的な対立を描いているのに、トラックバンバンぶつけたり、それが盗まれたら奪い返したりと、まるで犯罪アクション映画みたいな展開となるが、そういう荒唐無稽感も、妙に映画にも、題材にも合っている。

リー・メジャースとやたらにセクシー美人なジェニファー・オニールのラブロマンス的な展開に簡単に流れないところもいい。

途中からは、過去のトラウマから、現場は仕切れても、自身は鉄骨組み立てのために高所に昇れなくなっているリー・メジャースの葛藤が描かれていくが、それに納得しないリチャード・リンチの職人仲間に対し、リーがトラウマを克服して鉄骨組み立てをするまでを描く描写も、またはその後の和解も、やはり題材に合った、ガテン系の男たちの少年ジャンプ的友情風に描かれている。

ジャンプ的描写の建築アクション映画と、勧善懲悪な犯罪アクション映画的な描写が絶妙に融合している、拾い物B級映画の秀作な一篇。 2017/06/20(火) 02:08:59 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『若妻痴漢遊戯 それでも二人は。』

城定秀夫『若妻痴漢遊戯 それでも二人は。』、

西野翔と吉岡睦雄の夫婦は結婚して一年と少々の時期で、西野は翻訳のアルバイトもこなし、吉岡とも円満だったが、満たされない気持ちもあった。

しかし、西野は電車で痴漢に遭い、痴漢してきた男の強引さに惹かれていく。

その頃、夫の吉岡はリストラされたことを妻に告白出来ず、風俗に通っていたが、風俗店で禁止行為を行い、事務所に連れてこられるも、そこで風俗嬢の面接に来ていた妻の西野と顔を合わせてしまう。

お互いの気まずく、すれ違った気持ちが露見し、その後西野は夫不在の自宅で痴漢男と不倫の情事を重ねるが。




城定秀夫、初期の作品。

題材や設定に描き方、それに構成などなど、いかにも城定らしいものではあるが、しかしまだ後々の傑作群ほどの冴えがあると言い難い。

コミカルな描写などは同じだが、すれ違った夫婦の気持ちが、台詞無しでもメロウに伝わってくる、あの独特の情緒感はまだ薄く、ラストも城定らしいほのぼのハッピーエンドを迎えるものの、そこにあの感動的な意味深さの気配があまり出ていない。

それでも夫婦のドラマを腰を据えて撮ろうとしている気概は感じさせるし、それにラストにいきなり荒唐無稽なUFO話が出てきて、そこからほのぼのハッピーエンドに収まっていくところなどは中々城定らしい。

傑作とまでは言えず、まだ舌足らずなところも散見されるが、それでも城定らしさはあるし、特にそう悪い出来というわけでもない一篇。 2017/06/17(土) 00:06:30 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

『実録 若頭』




城島想一『実録 若頭』、

的場浩司は、度胸を買われてヤクザになり、その後大阪で氷業を成功させ、極道との二足の草鞋をはいて、若い子分を増やしていく。

その商才と度量で頭角を現わすが、親分に恥をかかせた敵対組織を襲撃したことで逮捕され、的場の組は解散する。

的場は出所したらカタギになろうと思っていたが、子分たちが自分を頼りに待っていてくれたことや、関西の大組織の直参の組から声をかけられたことで、また極道の世界で商才を生かし頭角を現していく。





実在の経済ヤクザをモデルにした作品。

的場浩司はひたすら商才があり、次々とビジネスを成功させていき、最初は義憤にかられて殴り込んで組を潰すも、その後は西の大組織に気に入られて、さらに商才を生かして頼りにされていく。

草野康太の流しが縄張り問題で商売しにくい事情を聞くと、芸能事務所を作って流しが商売しやすい環境を作ったりとひたすら的場のやり手ぶりが描かれていく。

西の大組織の組長を『Gメン'75』の伊吹剛と、『特捜最前線』の誠直也が演じている。

誠直也はかなり熱いヤクザの役で、的場は若い頃から中年期までを一人通しで演じている。

若い衆に慕われる役どころに的場浩司はわりとよく合っている。

抗争も描かれるが、メインにはひたすら的場が商才を生かして頭角を現し、出世していく様が描かれている一篇。 2017/06/13(火) 01:47:49 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

『ラビット・ホール』




ジョン・キャメロン・ミッチェル『ラビット・ホール』再見、

ニコール・キッドマンとアロン・エッカートの夫婦はニューヨーク郊外の住宅街で暮らしていたが、8か月前に4歳の一人息子が交通事故に遭い死んでしまい、それから2人は強烈な喪失感に苛まれていた。

現実を見て生きようとする夫のエッカートだったが、乱れた気持ちのままの妻キッドマンは、同じ子供を亡くした夫婦の集会にも虚しいものを感じ、周囲に当たり散らす生活を送っていた。

だがある日、キッドマンは息子を轢いた高校生を偶然見かけて思わず尾行し、そのうち公園で話すようになる。





ニコール・キッドマン製作、主演の、デヴッド・リンゼイ=アベアーの戯曲を映画化した作品。

脚本もリンゼイ=アベアーが書いている。

最愛の幼き子供を事故で亡くした夫婦の喪失感と苦しみをダイレクトに描いた映画だが、ニコール・キッドマンがこの映画の演技でアカデミー賞他多くの賞にノミネートされ、全米映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞しているのが全く頷ける、まさに体当たりの名演を見せているのが一番出色である。

こういう題材だと、喪失感と悲しみから、ひたすら被害者的な遺族が、いささかお涙頂戴気味に描かれることが多いが(特に日本のドラマや映画では)、この映画のニコール・キッドマンはあらゆる慰めが何にもならないことに絶望している。

それ故に、あくまで感情を抑えて、周りに気を使い、普通に生きようとするのだが、しかし喪失感をどうしても無視することが出来ず、結局は、はた迷惑にも周りに当たり散らす怒りの表現になってしまう。

そして結局、そうなるたびに、自分をどんどん追い込んで行ってしまうのである。

キッドマンは周りに当たり散らしているようで、結局自分自身を責めているのであり、謂わば自分で自分を傷つけてしまっているのである。

この辺りの、幼い最愛の子供を失った喪失感は、やはりその当事者にしかわからないということを、綺麗事抜きで明確に伝えてくる描写、またはキッドマンの演技は見事というしかない。

そんなキッドマンが、息子を事故とは言え轢き殺し、罪悪感に苦しむ高校生と話すことだけが救いとなる、というか、どちらも事故のある意味では被害者同士であり、そんな二人が話すことにしか救いがないという描写も中々リアルである。

また一見冷静に見える夫のアロン・エッカートだって、大事に毎日見ていた、生前の息子のスマホの動画をキッドマンが誤って消してしまった時には、まるで薬が切れたように怒りだし、つまりエッカートは亡き息子との良き思い出の世界に浸ることで、自身の喪失感を回避してきただけであり、結局キッドマンと同じ喪失感に苦しみ続けてきただけで、ここでエッカートがキッドマンに怒るほどに、エッカートの哀しみの大きさが伝わってくる。

このアロン・エッカートの演技も見事である。

この映画は、ニコール・キッドマンとアロン・エッカートが体当たりの演技でぶつかり合う、その生さが、喪失感の絶望的哀しみの、その本当の辛さを浮き彫りにしていくのである。

そんな本当の辛さを、のたうち回りながら少しずつ乗り越えていこうとする、二人の心理の変化を描いた描写も丁寧である。

綺麗事抜きのダイレクトさで描かれた、かなりの秀作な一篇。 2017/06/10(土) 00:06:35 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)
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