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0線の映画地帯 鳴海昌平の映画評

『ワン・フロム・ザ・ハート』




フランシス・フォード・コッポラ『ワン・フロム・ザ・ハート』再見、

フレデリック・フォレストとテリー・ガーのカップルは、ラスベガスで同棲していたが、独立記念日の前日に大喧嘩をする。

その後二人は、それぞれ新しい相手、ナターシャ・キンスキーやラウル・ジュリアと仲良くなるが、いつもどこかでお互いを意識していた。




ラスベガスを舞台にしたミュージカル風恋愛映画。

全編ハリウッドの、コッポラが所有していたスタジオ「ゾーイトロープ・ロス・スタジオ」で制作されている。

大きな飛行機も含め、ちゃんとしたセットが作られたようだが、しかしこの映画は興行的に惨敗し、多額の制作費を回収できなかったため、コッポラはゾーイトロープ・ロス・スタジオを売る羽目になったといういわく付きの映画である。

しかし、トム・ウェイツの音楽はかなりよく、クリスタル・ゲイルの歌声も素晴らしいし、往年のハリウッド映画のスタジオシステムのミュージカル映画を再興させようとしたコッポラの熱意は伝わってくる。

おまけに、全編に渡って見受けられる、コッポラらしい古典映画的な撮影スタイルに実に映画的な味わいがあり、映画としての正統性も有している。

そういう点でのみ、後に生まれたミュージカル映画『ラ・ラ・ラランド』を少し上回っているし、貴重な映画ですらある。

しかしながら、それ以外のことはあんまり芳しいものではなく、『ラ・ラ・ラランド』に悉く完敗している。

何と言っても、主役の二人、どちらも中年のフレデリック・フォレストとテリー・ガーに華がなさすぎる。

二人とも脇の演技派という感じだから、演技は中々の好演だが、やはり主役としては地味すぎる。

一番華があり、派手な若きナターシャ・キンスキーが単なる脇役という配役のバランスも悪い。

さすがに公開時のポスターや宣材は、当時人気があったナターシャ・キンスキーばかりがクローズアップされ、まるでナターシャが主役みたいにしていたが、映画自体はフレデリックとテリー・ガーの中年男女の映画であり、やはり地味すぎ、それ故に興行的に惨敗したのかもしれない。

男女の会話を音楽で表現するというミュージカル仕立てにしたとは言え、結局のところ、喧嘩したカップルが別の相手にそれぞれ恋するが、お互いを忘れられず、最後は元サヤに戻るという、今時ならラノベやケータイ小説でも中々ないくらい見え透いた短絡ラブコメ物語を、いい年した中年男女で見せられてもシラジラしいばかりである。

おまけに、この手の映画の見せ場である、ミュージカル的なダンスシーンもイマイチパッとしないし、あんまり盛り上がらない。

見せ場はイマイチ、お話の短絡さはケータイ小説以上に陳腐、主役に華がなくシラジラしい、とこれだけ難点だらけじゃ、まあ興行的に惨敗しても仕方ない気もするが、しかしこの映画、妙に嫌いになれない好感が持てる作品ではある。

それは上記の、古典映画的な味わいの映画的正統性と、音楽の素晴らしさ故だろう。

主役としては華がなく地味とは言え、フレデリック・フォレストもテリー・ガーも中々良いからである。

それと何故か、映画やお話の情感とは関係ないような哀愁が、不意に感じられるところがあるからだ。

それは、この映画が作られた頃に、コッポラが持っていたような、往年のハリウッド映画の古典映画的な正統性を再興しようとする、あからさまな熱意というもの、それ自体が、今では懐かしいものだからかもしれない。

このような古典映画的なスタイルの映画も少なくなったが、それが絶滅の危機にあった時に、スタジオまで作って再興しようとする、あからさまに時代錯誤な映画的熱意自体も、今では稀有なものとなりつつあるからかもしれない。

デミアン・チャゼル監督も、確かに『ラ・ラ・ラランド』で往年のハリウッドやヌーヴェルヴァーグ的なミュージカル映画の古典映画スタイルを意識した作風を見せていたが、それを現代風に置き換えることに成功しているからか、映画や物語に哀愁はあっても、この映画のような不思議な哀愁はない。

つまり、古典映画の映画的正統性に、時代錯誤なまでには没入していないからである。

コッポラのように時代錯誤なまでに古典映画に没入し、現代との間に軋轢や齟齬が生まれる瞬間を剥き出しにすることなく、悉く聡明かつ現代的にしている『ラ・ラ・ラランド』にはない、没入者の不思議な哀愁があるのがこの映画なのである。

かってのハリウッド映画の古典映画的な映画的正統性の哀愁と、それを再興しようと古典映画に没入した時代錯誤剥き出しな熱意の哀愁、その時代錯誤故に現代との間に齟齬や軋轢が生まれ、売りに出される羽目になったゾーイトロープ・ロス・スタジオの哀愁が、重なって感じられる一篇。 2019/05/18(土) 09:14:48 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)

『新・キタの帝王』




原田徹『新・キタの帝王』再見、

有能な弁護士の岸本祐二は、恋人の中山忍との結婚を予定していたが、中山が岸本が関わる裁判の相手側の証人となった途端、彼女は事故で死んでしまう。

岸本は、恋人中山の不審な死の真相を探るが、中山の死から失意のあまり泥酔して、行きずりの女と関係したことから、謎の罠にハマって犯罪者扱いされ、懲役2年の実刑を受ける。

2年後、出所した岸本は、恋人中山の死に、ある医療法人が絡んでいることを知る。

弁護士ではなくなり、自分自身の名誉の回復と中山の無念を晴らすため、岸本は医療法人に立ち向かう。




岸本祐二主演のVシネマ。

最初颯爽と登場する岸本だが、中山の不審死を境に、泥酔し行きずりの女との情事の果て、罠にハマって犯罪者となり服役する。

それまで随分有能だった岸本があまりに簡単に身を持ち崩しすぎな展開は唐突すぎるが、出所後は、復讐のためにアウトローな法律専門家と化して陰謀を暴いていく。

岸本のかっては上司であった弁護士の西岡徳馬が、不思議な立ち位置の悪役を演じ、中山の死後は、岸本をサポートする新恋人役になりそうで結局ならない大沢逸美など、脇役陣が微妙な立ち位置だったりするが、吉本新喜劇の末成由美が、出所後の岸本をサポートする借金取り役を好演していたりする。

末成が出ているのもあるが、岸本出所後の描写には、微妙に吉本新喜劇的なギャグが入り込んだり、SMクラブが出てきたりとバラエティ感が増していき、真面目な岸本のキャラもアウトローらしく、くだけた感じに変化していく。

また、前半はムッツリした医者風だが、後半の大乱闘シーンになると、中々の怪演を見せる谷口高史他悪役陣がコミカルに暴れ回っていたりと、コテコテではあるが、盛り沢山な趣向を凝らした描写で後半は押していたりする。

そういう意味では、そう定番な出来に甘んじてはいない、それなりに悪くない娯楽作になっている一篇。 2019/05/14(火) 00:06:32 Vシネマ トラックバック:0 コメント(-)

『ダブルドライブ 狼の掟』




元木隆史『ダブルドライブ 狼の掟』、

コルベット・スティングレイに乗る我妻アベル=藤田玲は、家族以上の存在だった仲間たちに卑劣なマネをしたヤクザを殺してしまったが、その後、少年院時代の兄貴分である駒木根隆介を訪れる。

駒木根率いる愚連隊「サガミ連合」のメンバーである佐藤流司と、玲は車好きという共通点から仲良くなるが、流司は大麻の取引に失敗し、そのペナルティとして闇金の波岡一喜から多額の借金を背負う。

そしてヤクザと絡み出してから、変わってしまった駒木根の姿を、玲は憂う。

その頃、玲に兄を殺されたヤクザの弟は、兄の復讐のため玲を必死で探していた。





AMGエンタテインメントの「AMG・アウトロームービー・ユニバース」シリーズの一作で、主人公・我妻アベル=藤田玲を描いた「ボーダーライン」の後日譚である犯罪カーアクション映画。

しかし、年代もののコルベット・スティングレイが出てくるわりに、そのカースタント場面もあまりなく中途半端だし、そう車にこだわった内容でもなく、基本はありがちなアウトロー同士の小競り合いが描かれるばかりである。

駒木根隆介は役に合っているが、愚連隊自体の描写も、アベル=藤田玲との絡みも浅めで、イマイチ薄味な出来である。

そもそも主役のアベル=藤田玲がどうにも線の細いキャラで、華麗なドライビングテクニックで唸らせるわけでもないし、いい奴だが、大して強くもなく、もう一つパッとしない。

結局愚連隊を描いた青春映画、または藤田&佐藤と駒木根の友情映画としても、犯罪映画や、カーアクション映画としても全て中途半端な出来である。

ハナからその中途半端なバラエティ感を狙っていたようにも見えるが、それがただ中途半端にしかならなかったとしか言いようがない出来である。

佐藤玲に復讐しようとするヤクザの弟に多少の狂気は感じられるが、全体的にはどうにもイマイチな一篇。 2019/05/11(土) 14:09:56 その他 トラックバック:0 コメント(-)

『三十路妻 濃蜜な夜のご奉仕』

関根和美『三十路妻 濃蜜な夜のご奉仕』、

なかみつせいじと白華ユリの夫婦は、仲は良いのだが、夜の営みがマンネリしており、コスプレして迫る白華に対して、なかみつはシラケていた。

そこに、なかみつの父・甲斐太郎が突然現れるが、セクハラが酷い甲斐のことが白華は苦手で、毎日逃げ惑っていた。

なかみつはその頃、訪問販売員の水沢真樹に惚れ込んでいて、甲斐のせいで実家に帰ってしまった白華を尻目に、水沢とデートする約束をし、浮かれていたが、しかし待ち合わせ場所には父の甲斐がいた。




関根和美の懐かしい風味の艶笑ピンク。

全体的にほのぼのした喜劇テイストで、2012年の作品だが、まるで一昔前の松竹SP映画みたいな感じもする。

そもそも主役の白華ユリが、70年代のピンク女優か?と思わせるくらい古臭いテイストなのだが、それが映画自体の懐かしほのぼの風味に妙に合致していたりする。

老人がキーポイントになっているところからすると、前に書いた、清川虹子主演の「かくれた人気者」を少しだけ想起させる内容である。

なかみつの父・甲斐太郎の存在は、まあ最初から何となく、そうじゃないかなとは思わすが、中々にファンタジックな存在であることがラストに発覚し、それもあって、全体的にほのぼの感がさらに増し、いかにも明朗な懐かし艶笑喜劇映画になっている。

終盤、父・甲斐のことで、息子なかみつに電話してくる母の声が、関根監督の妻にして、一昔前はピンク映画のスターで、1999年に女優復活もした亜希いずみ=高橋靖子だったりする。

何てことのない喜劇映画だが、その懐かしSP映画風ほのぼの感は、一周回って今時稀有な気もするし、こういうタイプの映画をまだ作る人がいることは、そう悪いことではない気がする。

今風にエッジが立っている若手の野心的なピンク作にはない、そんな懐かしき魅力がある一篇。 2019/05/07(火) 00:06:20 その他 トラックバック:0 コメント(-)

『WE ARE YOUR FRIENDS』




マックス・ジョセフ『WE ARE YOUR FRIENDS』再見、

DJのザック・エフロンは、EDMシーンのスターになり、地元を出て成功したい夢を持っていて、よく仲間とクラブに通っていた。

ある日ザックは、カリスマDJのウェス・ベントリーと出会い、熱意と才能を気に入られてDJの指導を受ける。

ザックは夢を叶えようと励むが、それ故に仲間との間に温度差が出来、距離が生まれてしまい関係がギクシャクしだす。

その上、師匠のウェスの恋人、エミリー・ラタコウスキーに恋して仲良くなったことで、ウェスの怒りを買い、関係が悪化する。

そんな暗転していく状況の中、ザックは大きなフェスに出演するチャンスを生かそうと挑戦する。





EDM=エレクトロニック・ダンス・ミュージックのDJとして成功しようとする若者を描いた音楽青春映画。

監督のマックス・ジョセフは、MTVの番組に関わってきた人なので、映画自体のタッチにもミュージックPV的なテイストがよく出ている。

タイトルは、フランスのエレクトロニックユニット、ジャスティスの楽曲名から来ている。

『ゴーン・ガール』に出ていたエミリー・ラタコウスキーは、何気なくEDMに合わせて踊っている姿が実に絵になり、映像がまるで自身の楽曲のPVにすら見えてくるほどで、カリスマDJとザックの間にいる魅惑的な女性という役どころにリアルにハマっている。

一見、『サタデー・ナイト・フィーバー』のDJ版のようにも見えるが、それ以上にこの映画は、やはり主役のザック・エフロンのDJ版『ロッキー』ような映画に近いと思う。

『サタデー・ナイト・フィーバー』は、一見浮かれた音楽青春映画なようで、その実、シビアなまでに、地方の若者の苦しみと焦りと痛々しさを描いた、わりかし苦い青春映画だったが、こちらもそれと重なるところはあるものの、しかし終盤、大規模なフェスに出て、ザックが勝負するようにDJプレイをすることで拡がっていく、ザックの気づきと成長の描写は、まさに『ロッキー』の後半におけるロッキー・バルボアの試合を通しての成長の描写に近いものがあり、こちらも中々感動的な終わり方をするのである。

最後の勝負をかけたザックのプレイに、それまで伏線的に散りばめられていた、実人生の経験や苦悩、気づきなどが一気に音楽的に盛り込まれて、それがオリジナリティ溢れるDJプレイに成り変わっていくところは実に感動的であり、この映画は、あくまで、そうした音楽的な感動によって、『ロッキー』的な青春映画の感銘をも与えてくれるという、実に得難いことに成功している。

つまり、恋愛場面や青春映画的な葛藤も描かれてはいるが、それらをあくまで音楽的な達成に様変わりさせてしまう離れ業を、最後に実現して終わっていく感慨深い映画なのである。

ザック・エフロンも、ウェス・ベントリーもエミリー・ラタコウスキーも皆好演している、中々に音楽的に優れた秀作である一篇。 2019/05/04(土) 00:19:27 外国映画 トラックバック:0 コメント(-)
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